- 更新日 : 2025年3月31日
労働基準法第17条とは?前借金相殺の禁止についてわかりやすく解説
労働基準法第17条(前借金相殺の禁止)は、従業員が会社から借りたお金を給与と相殺する行為を禁じています。本記事では、その趣旨や背景、労働基準法第24条(賃金の全額払い原則)との関係、近年の裁判例に見る法的解釈、そして企業が取るべき対応策や違反時のリスクについて、人事・法務担当者向けに解説します。
目次
労働基準法第17条(前借金相殺の禁止)とは
労働基準法第17条は、「前借金相殺の禁止」に関する規定です。
条文では
「使用者は、前借金その他労働することを条件とする前貸の債権と賃金を相殺してはならない」
と明記されています。
簡単に言えば、会社が労働者に対して仕事を条件に貸し付けたお金(前借金)を、後の賃金支払い時に一方的に差し引いて精算することを禁止するものです。
この規定の背景には、労働者が会社への借金によって「辞めたくても辞められなくなる」事態を防ぐ目的があります。
例えば、就職の条件として多額の借金を負わせ、その返済を理由に退職を妨げたり、働き続けることを強制したりすることは、労働者の自由を奪いかねません。そうした借金による労働の拘束(いわゆる債務奴隷的な状況)を防止するために、第17条が設けられています。
なお、第17条は前借金自体を全面的に禁止するものではありません。労働者の個人的な信用に基づいて金銭を融通すること自体は違法ではなく、労働契約との関連性が薄く労働者の身体的拘束を伴わない貸付であれば「前借金」に該当しない場合もあると解されています。
例えば、単に社員の生活上の都合で会社から一時的にお金を借りた場合など、それが労働条件に密接に結び付いておらず、労働者の退職の自由を奪う意図が明らかにないのであれば、第17条の規制の対象外となる可能性があります。
「前借金」と「前払い」の違い
「前借金」と「前払い」の違いも押さえておきましょう。ここで言う「前借金」とは将来の労働を条件にした貸付金のことであり、労働者は返済義務を負います。
一方、「前払い」は、すでに働いた分の賃金を本来の給料日より前に支払うことであり、後日その前払い分を差し引いた残額を支給するものです。前払いは労働者が返済義務を負うものではないため、本条で問題とする前借金とは本質的に異なります。
企業実務においても、賃金支払いにおける前払い制度(給与の一部先払いなど)は認められていますが、将来の労働を拘束する借入金の相殺とは区別する必要があります。
労働基準法第17条の前借金相殺禁止の適用範囲
では、どのようなケースが「前借金相殺の禁止」に該当するのでしょうか。重要なのは、その貸付(前借金)が労働することを条件としたものかどうかという点です。具体例を挙げながら考えてみます。
採用時の貸付と給与天引き
新入社員を採用する際に、「就職支度金」や「寮の入居費用」等の名目で会社が労働者に貸付を行い、その返済分を毎月の給与から天引きしていた場合は、第17条が適用されます。
「働き続けること」を前提条件としてお金を前貸しし、給与で回収する仕組みは典型的な前借金相殺の禁止に触れる場面です。
仮に労働者が途中で退職しようとしても、「借金が残っているから辞められない」といった心理的・経済的束縛となり得ます。このようなケースは第17条が想定する禁止行為そのものです。
在職中の緊急貸付と返済
在職している労働者に対し、会社が生活費の工面など目的で金銭を貸し付け、後日その返済を給与から差し引くことも注意が必要です。
労働者側から見れば単なる社内ローン制度のようなものですが、会社側が労働契約上の地位を利用して半ば強制的に給与控除する場合、それは前借金相殺の禁止に抵触します。
特に、貸付時に「返済が終わるまで退職しないこと」等の約束をさせていたりすると、まさに労働を条件とする貸付と評価されるでしょう。
退職時の貸付金の精算
雇用契約や社内規定で「退職時に会社からの貸付金残高は退職金や最終給与と相殺して清算する」旨の条項を設けているケースも考えられます。
しかし、事前に取り決めた形で貸付金と退職金・賃金を相殺する合意は、第17条に抵触する可能性が高いので注意が必要です。
退職を機に一括返済を強要することは、退職の自由を妨げる点で第17条の趣旨に反しますし、同時に後述する第24条の全額払い原則にも抵触し得ます。
一方で、純粋に従業員の個人的事情に配慮した貸付であって、労働継続を条件としないものは第17条の「前借金」に当たらない場合があります。例えば、従業員の冠婚葬祭や緊急医療費のために会社が一時的に貸付を行うケースです。
この場合、貸付そのものは労働者の福利厚生的措置と言え、返済も給与天引きではなく本人からの自主的な返金に委ねるのであれば、労働契約と貸付契約が密接に関連しているとは言えず、第17条で禁止する「前貸の債権と賃金の相殺」には該当しないでしょう。
ただし、その線引きは曖昧になりがちなので、企業としては慎重な対応が求められます。貸付契約書を交わし、返済方法も給与控除ではなく銀行振込など別途の方法にする、退職によって一括返済を強制しない等、労働者の自由を拘束しない形で運用することが肝心です。
労働基準法第17条の前借金相殺禁止と賃金支払いの関係
労働基準法第24条第1項は、賃金支払いの5原則(通貨払い、直接払い、全額払い、毎月1回以上、一定期日払い)の規定として知られています。その中でも「全額払いの原則」が、第17条の禁止規定と深く関係します。
第24条第1項本文では「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」と定められています。
つまり、原則として使用者は賃金から一方的に差し引きを行わず、その全額を労働者本人に支払わなければならないということです。
もっとも、この原則には法律上いくつかの例外も設けられています。第24条第1項ただし書きにより、以下の場合は全額払いの例外が認められます。
- 法令に別段の定めがある場合
例:所得税や社会保険料の源泉控除など法令で控除が義務付けられているもの - 労働協約に別段の定めがある場合
- 厚生労働省令で定める一定の方法による場合
例:銀行振込は「労働者が確実に受け取れる方法」として省令で認められている
また、労使協定(事業場の労働者代表との書面協定)がある場合には、賃金の一部控除も許容されます。例として、会社と労使代表との協定に基づき、社員が希望する社宅家賃や労働組合費の天引きを行う、といったケースが挙げられます。
これらは労働者の合意に基づく福利厚生的な控除であり、適法とされています。
しかし前借金の返済分を賃金から控除することは、上記いずれの例外にも該当しません。会社からの貸付金返済は法令上の控除項目ではなく、たとえ就業規則や労働契約書に明記していても、それ自体で合法化されるものではないのです。
したがって、労働者が事前に同意している場合であっても、単に第24条ただし書きの協定があるというだけでは貸付金返済の賃金天引きは許されない点に注意が必要です。
第17条で明示的に禁じられているような「労働条件としての前借金相殺」はもちろん、第17条に該当しない貸付であっても、賃金支払いの全額払い原則との関係で問題となる可能性があります。
実際、賃金債権と使用者側の他の債権との相殺については、司法判断においても厳しい解釈が示されています。
最高裁は「労働基準法24条1項の趣旨から、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することは許されない」と判示しており、たとえその債権が不法行為(例えば労働者の過失による会社への損害賠償)に基づくものであっても同様であると述べています。
要するに、賃金からの一方的控除・相殺は原則禁止というのが裁判例上も確立した考え方なのです。これは、前借金に限らず、会社が労働者に対して持つあらゆる債権(損害賠償請求権や過払い金の返還請求権等)にも及ぶ原則といえます。
労働基準法第17条に違反した場合の罰則
労働基準法第17条および第24条に違反した場合、企業・担当者は様々なリスクを負うことになります。
刑事罰
まず法的な制裁としては、第17条違反について既に述べたように6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金(労働基準法119条)という刑事罰が科される可能性があります。賃金不払い等の違反の中でも、労働者の自由を束縛しかねない前借金相殺は禁止事項として重く見られており、罰則の対象となっています。実際に懲役刑が科される事例は稀かもしれませんが、罰金刑や書類送検のリスクは十分に認識しておく必要があります。
また、労働基準法第24条違反(賃金の全額払い違反)についても30万円以下の罰金に処せられる可能性があります。こちらは第17条ほど重い刑ではありませんが、労働基準監督官が是正勧告を出し、悪質な場合には送検されることがあります。
特に賃金未払い事案の一環として相殺違反があれば、まとめて摘発されることも考えられます。
民事上の責任
刑事罰以外にも、民事上の責任も発生します。違法な相殺によって本来支払われるべき賃金が差し引かれていた場合、労働者から未払い賃金の支払い請求(不当控除分の返還請求)を受けることになります。労働者は過去に遡って未払い額の支払いを求めることができ(2年ないし3年の時効に注意)、会社は法定利息や遅延損害金とともに清算を迫られるでしょう。
未払い賃金の請求は労働審判や訴訟に発展するケースも多く、企業にとって大きな負担となりえます。
労働基準監督署からの是正指導
さらに、労働基準法違反が明らかになれば労働基準監督署からの是正指導が入ります。労基署の調査で前借金相殺の事実が判明した場合、即座に是正勧告書が交付され、速やかに違反状態を解消するよう求められます。
是正内容には、該当労働者への未払い賃金の支給や、違反行為の禁止徹底、就業規則の改定などが含まれるでしょう。勧告に従わない場合や悪質な場合は送検となり、前述の刑事罰手続へ進みます。
社会的信用の損失
企業イメージの悪化や信頼関係の損失も看過できないリスクです。賃金トラブルは労働者との信頼関係を大きく損ない、場合によっては他の従業員の士気低下や退職の増加を招きます。
昨今はSNS等で労働問題が拡散しやすく、労働基準法違反で社名が公表されたりすれば採用活動にも支障が出かねません。コンプライアンス遵守が強く求められる時代において、賃金の適正支払いに反する行為は企業のレピュテーションリスクとも直結しています。
労働基準法第17条に関する判例
賃金と他の債権の相殺については、過去の裁判例で数多く争われており、企業が陥りやすい誤解や落とし穴が浮き彫りになっています。ここでは主な判例を通じて、そのポイントを確認します。
賃金全額払いの原則と相殺禁止(昭和36年最高裁判決)
賃金と損害賠償債権の相殺を巡って争われた日本勧業経済会事件(最判昭36.5.31)では、前述のとおり最高裁が「労働基準法24条1項は、使用者が労働者に対して有する債権をもって賃金債権と相殺することを許さない趣旨を包含する」と明確に判示しました。
この事件では、会社が労働者に対して抱える損害賠償請求権(労働者のミスで会社に与えた損害)があり、それを未払い賃金と相殺しようとしましたが、裁判所は「相殺自体が無効」であるとして会社側の主張を退けました。
この判例は賃金全額払いの原則を確認した重要なもので、以降の裁判でも引用される基本的な考え方となっています。
自由な同意による相殺の容認(平成2年最高裁判決)
一方で、労働者の自由意思に基づく同意がある場合には相殺が認められたケースもあります。
それが日新製鋼事件(最判平成2.11.26)です。同事件では、従業員が会社からの借入金について「退職金等で残債を返済する」ことに同意し、実際に退職時にそのように処理されました。
労働者が破産したため破産管財人がこの相殺は違法だと主張しましたが、最高裁は「労働者が自由な意思に基づき相殺に同意し、その同意が真に自由意思によるものであると客観的に認められる合理的理由がある場合には、その同意に基づく相殺は労働基準法24条1項に違反しない」と判決で述べています。
この事案では、労働者自らが会社に依頼して退職金との相殺手続きを行ってもらったこと、手続の過程に強制の形跡が全くなく、労働者が内容を十分認識して署名捺印していたこと等から、同意の任意性が認められました。
つまり、形式的には賃金(退職金)と借入金の相殺ですが、労働者の側から積極的な同意・依頼があった特異なケースとして、例外的に有効とされたのです。
過払賃金の調整的相殺(昭和50年最高裁判決)
賃金相殺に関連して実務上問題になるのが、給与計算のミス等で賃金を過払いしてしまった場合の調整です。
これについて昭和50年の福岡県教組事件(最判昭50.3.6)では、数ヶ月前の過払い分を後の給与から減額控除した措置が争われました。裁判所は「3ヶ月も経過してからの相殺は時機に後れており、全額払い原則の例外的許容範囲を逸脱する」として労働者側の請求を認めています。
一般に、過払いの清算目的であっても、あまりに期間が空いた後での相殺は無効とされる傾向があります。この点、厚生労働省のガイドラインでも「過払いがあった場合はできるだけ速やかに労働者に説明し、次の賃金支払時期に近接して調整すること」が望ましいとされています。
過払い金の回収であっても、労働者の生活に大きな影響を与えないよう配慮しなければならないということです。
労働基準法第17条に関して企業が注意すべきポイント
では、実務上どのように対応すべきでしょうか。
公正な契約と自主返済
社内で従業員に貸付制度を設けている場合、貸付契約書を取り交わし、返済は自主的に行わせることを徹底します。給与天引きはしないか、どうしても給与から控除する必要があるなら毎回本人の書面同意を得るなど、都度の合意を確保しましょう。判例上も、本人の自由意思に基づく同意がカギになります。
この同意を得るプロセスでは、労働者が拒否できる状況かどうかが重要です。「同意しなければ解雇する」などと示唆した場合はもちろん無効ですし、そうでなくても職場での暗黙の圧力があれば自由意思とは認められません。
理想的には、労働者から自主的な申出があった形を整えることです。しかし実態を偽装するような行為は望ましくありませんので、あくまで誠実に対応し、無理強いしないことが重要です。
合意書や覚書による担保
後日のトラブルに備え、返済について話し合った内容は書面に残しておくべきです。返済合意書や覚書を双方で署名しておけば、万一労働者が返済を怠った場合に法的手段に訴える根拠になります。
賃金と直接相殺することはできなくても、貸付金はあくまで債務として残りますので、最終的には民事訴訟で回収を図ることも可能です。その際に備えて証拠を残しておく意味でも、文書化は重要です。
入社時・退職時の取り扱い
入社時に研修費用を立て替えたり、退職時に貸与物を破損・紛失していたりする場合など、どうしても金銭清算が必要な場面があります。このような場合でも前借金相殺の禁止や賃金全額払いの原則を念頭に置いて対応します。
例えば、研修費用について「○年間勤務しなければ返還義務」といった契約は労基法16条の賠償予定禁止に違反する可能性があり無効ですし、退職時の未返済貸付を退職金から控除するのも本人の自由意思による同意がなければ第17条違反となり得ます。
入社前の誓約書や退職時の同意書であっても、内容が法に反すれば効力はないことに注意してください。
労働基準法第17条の内容を正しく理解しましょう
労働基準法第17条「前借金相殺の禁止」は、会社が従業員に貸し付けたお金を給与から一方的に差し引くことを禁じる規定であり、その目的は借金による労働者の拘束を防ぐことにあります。
人事・法務担当者は、前借金や損害賠償を給与で精算しようとせず、一旦全額を支払った上で別途返済・請求するという対応を徹底する必要があります。法律違反となれば刑事罰や未払い金の支払い、監督署からの是正勧告など厳しい措置に直面します。
賃金の適正な支払いは労務管理の基本です。
前借金相殺の禁止を正しく理解し、従業員との信頼関係を損なわない公正な対応を取ることが、結果的に企業の健全な発展につながるでしょう。
※ 掲載している情報は記事更新時点のものです。
人事労務の知識をさらに深めるなら
※本サイトは、法律的またはその他のアドバイスの提供を目的としたものではありません。当社は本サイトの記載内容(テンプレートを含む)の正確性、妥当性の確保に努めておりますが、ご利用にあたっては、個別の事情を適宜専門家にご相談いただくなど、ご自身の判断でご利用ください。
関連記事
定額減税について子供がいる場合どうする?具体例をもとに対象者を解説
定額減税は、令和6年度の税制改正により、所得税と住民税から一定の額を控除する制度です。今回の定額減税では、1人あたり所得税から3万円、住民税から1万円が控除されますが、子供がいる場合はどのような扱いになるのでしょうか。 子供によって控除金額…
詳しくみる沖縄県の給与計算代行の料金相場・便利なガイド3選!代表的な社労士事務所も
沖縄県で企業活動を行う際、給与計算は正確性と迅速性が求められる重要な業務です。しかし、法改正や税制の変更に対応するのは容易ではなく、内部で全てを管理するのは負担が大きくなります。この記事では、沖縄における給与計算代行サービスの料金相場を詳し…
詳しくみる奈良県の給与計算代行の料金相場・便利なガイド3選!代表的な社労士事務所も
奈良県で事業を展開する企業にとって、給与計算は正確性と効率性が求められる重要な業務です。しかし、専門的な知識や時間を確保することは容易ではなく、多くの企業が給与計算代行サービスの利用を検討しています。奈良県特有のビジネス環境に適したサービス…
詳しくみる賃金締切日(給料の締め日)とは?支払日との違いや変更する際のポイントを解説
賃金締切日は、給料を計算する該当期間の最終日を指します。企業によって自由に決められますが、労働基準法によるルールも存在しており、日にちを変更したい場合はどのように設定するべきか迷う担当者もいるでしょう。 そこで本記事では、賃金締切日について…
詳しくみる定額減税の二重取りとは?生じうるケースを解説
定額減税は、従業員の税負担を軽減するための重要な制度ですが、適切に管理しないと「二重取り」という問題が発生することがあります。二重取りとは、同一の減税対象者が複数の所得源から同じ減税を受けることを指し、税務上の不正確な処理となります。 本記…
詳しくみる有給休暇の保有日数は最大40日?35日?保有の条件を紹介
有給休暇は最大で40日保有可能だと聞いたことはないでしょうか。 しかし、それは単純に付与された日数全てを繰り越せる場合に限られます。 また、入社したら誰でも有給を使えるわけではなく、有給付与には2つの条件があります。 この記事では有給の最大…
詳しくみる