• 更新日 : 2025年8月6日

時季変更権は退職時にも使える?有給休暇のルール、例外を解説

退職を控えた従業員から、「残っている有給休暇をまとめて消化したい」と申請され、業務の引継ぎや人手不足を鑑みて「少し待ってほしい」と返答するケースも考えられます。

従業員の権利である有給休暇と、事業運営のための「時季変更権」。特に従業員の退職時という特殊な状況下で、この時季変更権はどこまで行使できるのでしょうか。

本記事では、退職時における有給休暇と時季変更権のルールについて、労働基準法や判例を基に、その可否や例外的な条件、そして労使トラブルを未然に防ぐための実務的なポイントまで、わかりやすく解説します。

退職時の有給取得に時季変更権は使える?

退職を予定している従業員の有給休暇取得に対して、事業主が時季変更権を行使することは原則としてできません。これは、時季変更権が「別の日に時季を変更する」ことを前提とした権利であるためです。

そもそも時季変更権とは?

事業主の時季変更権とは、労働基準法第39条5項に定められている権利です。この条文では、労働者が指定した時季に有給休暇を与えることが「事業の正常な運営を妨げる場合」に限り、事業主が他の時季に有給休暇を与えることが可能となっています。

重要なのは、これはあくまで休暇日を別の日に「ずらす」権利であり、従業員から休暇そのものを取り上げる権利ではないという点です。

退職時に行使できない理由

なぜ退職する従業員には時季変更権を行使できないのでしょうか。その理由は、有給休暇を別の日に変更するための「代替日」がないためです。

例えば、月末に退職する従業員が、残りの労働日すべてを有給休暇として申請した場合、事業主が変更を指示できる退職日以降の「他の労働日」はありません。退職日をもって雇用契約は終了するため、時季変更権を行使する物理的な余地がなくなります。

退職時の時季変更権に関する法的ルール

退職時の時季変更権行使が原則として認められないという考え方は、過去の裁判例の積み重ねによって確立された法的ルールに基づいています。

年次有給休暇は、労働者に与えられた法律上の権利であり、いつ取得するかは原則として労働者が自由に決められます(時季指定権)。

事業主の時季変更権は、あくまで労働者の権利に対する例外的な措置であり、その行使には厳格な条件が課せられます。退職時には、その例外を行使する前提そのものが成り立ちません。

時季変更権に関する判例

退職時の時季変更権に関する代表的な判例として、「白石営林署事件(最二小判 昭和48年3月2日)」が挙げられます。この事案では、解雇予告期間中に年次休暇の取得請求がなされました。

裁判所は、事業主が時季変更権を行使できるのは、当該労働者の残りの労働日数の範囲内に限られると判断しました。

つまり、退職日までの労働日の範囲を超えて休暇日をずらすことはできず、残りの労働日すべてが申請された場合は、もはや時季変更の余地はないという考え方が示されています。この法的解釈は、自己都合退職の場合にも同様に適用されます。

労働者の時季指定権を尊重する

労働基準法は、労働者が心身のリフレッシュを図るため、原則として自由に時季を指定して有給休暇を取得する権利を保障しています。

退職の間際であっても、この権利が失われるわけではありません。会社としては、退職する従業員が法律で保障された権利を気兼ねなく行使できるよう、配慮する姿勢が求められます。

会社の時季変更権の限界

時季変更権は、事業主の運営を守るための権利のように思えるかもしれません。しかし、その行使は「事業の正常な運営を妨げる場合」に限定され、かつ「代替日が存在する」ことが大前提です。

このルールを正しく認識せずに行使しようとすると、法的な紛争に発展するリスクがあります。

 退職時の有給消化で「人手不足」は時季変更権の理由になる?

多くの経営者や管理者が時季変更権の行使を検討するきっかけとなるのが「人手不足」です。しかし、この「人手不足」を理由として、退職する従業員の有給休暇取得を拒否し、時季変更権を行使することは、原則として認められません。

裁判例においても、「代わりの人員がいない」「業務が繁忙である」といった恒常的な人手不足は、時季変更権の正当な理由である「事業の正常な運営を妨げる場合」には該当しないいと判断されるのが一般的です。

「事業の正常な運営を妨げる場合」とは

労働基準法では、事業主が時季変更権を行使できるのは「事業の正常な運営を妨げる場合」に限られています。その労働者が休むことで、一時的かつ深刻な支障が客観的に生じる状況に限定されます。

例えば、全社的なシステム導入の最終日に、その担当者以外では対応不可能なトラブルが発生した、といったケースが想定されます。

慢性的な人手不足では認められない

慢性的な人手不足や、日常的に業務が忙しいという状況は、残念ながら時季変更権の行使を正当化する理由にはなりません。

判例では、事業主には労働者が有給休暇を取得することを見越して、代替要員を確保する、または業務の繁閑を想定したうえで人員を調整するといった、日頃からの配慮義務があるとされています。

退職時の時季変更権が行使できない場合、引継ぎはどう交渉すべきか?

原則として認められない退職時の時季変更権ですが、全く例外がないわけではありません。

例外が認められる可能性があるのは、「業務の引継ぎが事業継続に不可欠」であり、かつ「労使間の真摯な話し合いと合意のもとで退職日を調整できる」場合に限られます。

これは法的な権利行使というより、労使の協力関係に基づいた柔軟な対応として理解しましょう。

業務の引継ぎが事業継続に不可欠である

その従業員が行うべき引継ぎが、誰の目から見ても客観的に事業の正常な運営に不可欠であることが必要です。例えば、特定顧客との取引関係を単独で管理していた場合や、技術的な専門性を必要とされる業務で代替者の確保が難しいケースが該当します。

ただ単に「後任者が不安だから」「マニュアルをしっかり作成してほしい」という理由ではありません。その従業員にしかできない専門的な業務や、特定の顧客との重要な関係性の引継ぎなどが行われない場合、ビジネスに大きな損害が生じる可能性が高いでしょう。

退職日の延期について従業員と合意する

事業主がどうしても引継ぎを必要とする場合には、有給消化を削るのではなく、退職日そのものを後ろ倒しにする提案をするのも一つの手です。そのうえで、延長期間内に残りの有給休暇を取得してもらえるようにすることが、現実的な解決策となります。

この合意は、あくまで従業員の自由意思によるものでなければなりません。事業主が一方的に求めたり、暗黙の圧力をかけたりすることは、パワハラと解釈されるおそれがあるため、配慮が必要です。

労使間の合意を書面で確認する

従業員が会社の提案に納得し、有給取得日を調整することに合意が成立した場合は、その内容を書面に残しておくことがトラブル防止の観点からも重要です。

「引継ぎ業務のため、退職日をYYYY年MM月DD日からYYYY年MM月DD日へ変更することに合意する」といった内容の合意書を双方で取り交わしましょう。これは時季変更権の行使ではなく、あくまで個別の労働契約の変更という位置づけになります。

退職時の有給休暇取得で企業が備えるべきポイント

退職時の有給休暇トラブルは、感情的なしこりを残しやすく、企業の評判にも悪影響を及ぼすことがあります。

トラブルを避ける鍵は「計画的な管理体制の構築」と「誠実なコミュニケーション」です。従業員が退職する際に、有給休暇の取得をめぐって会社に不信感を抱かせない仕組みと風土を、日頃から構築することが何よりの対策です。

有給休暇の管理体制を強化する

有給休暇の残日数が退職時に多く残っていると、調整が難航しやすくなることもあります。そのため、「年次有給休暇管理簿」を整備し、付与・取得・残日数を正確に記録する体制を構築しておくことが基本です。

さらに、年5日の時季指定義務の履行を進め、可能であれば年初に取得計画を立ててもらうなど、計画的な取得を促すことで、退職時に未消化日数が集中するリスクを減らせます。

関連:年次有給休暇管理簿とは?書き方や作成義務について解説

就業規則の退職手続きを明確にする

退職に関する社内ルールが曖昧だと、引継ぎや休暇消化の調整が混乱しがちです。就業規則には、退職希望者が申し出る時期、退職までの手続き、引継ぎ方法などを具体的に定めておくべきです。

これにより、従業員は退職の準備に十分な時間を確保でき、会社側も有給休暇の計画的な取得を前提に業務の引継ぎが行えます。

円滑なコミュニケーションを心がける

退職の意思が伝えられた際は、まず本人の意向を丁寧にヒアリングすることが大切です。感情的な対応を避け、これまでの貢献に感謝を示したうえで、有給の残日数や業務の状況を整理し、どのように取得してもらうかを一緒に考える姿勢が求められます。

従業員の意向を尊重することで、円満な退職につながるでしょう。

有給休暇の買取を検討する

どうしても有給休暇のすべてを取得させることができない場合は、退職時に限って未消化分を買い取る選択肢もあります。ただし、在職中に「休まなかった日数分を買い取る」といった事前の約束は、有給休暇の取得を抑制するため、違法とされています。

しかし、退職時に結果として未消化となった日数分について、労使間で合意のうえで買い取ることは例外的に認められています。この場合、買取は会社の義務ではなく、金額などを含めあくまで双方の合意に基づいて行われます。強制ではなく、あくまで最終手段として選択肢を示す姿勢が求められます。

退職時の時季変更権をめぐり従業員と対立したらどうなる?

会社が法的に認められないにもかかわらず、退職予定の従業員に対して時季変更権の行使を強行したり、有給休暇の取得自体を拒否したりした場合、会社は重大なリスクを負うことになります。

お互い感情的にならずに、常に法に基づいた冷静な対応を徹底することが、自分の会社自身を守ることにつながります。

労働基準監督署への申告リスクを想定する

有給休暇を不当に取得させてもらえなかった従業員は、労働基準監督署に違法行為を申告する可能性があります。

労働基準監督署は申告に基づき調査を行い、法違反が確認されれば会社に対して是正勧告や指導を行います。

この行政指導に従わない悪質なケースでは、送検され、刑事罰が科されることもあり得ます。

労働基準法の罰則規定を理解する

年次有給休暇を労働者の請求する時季に与えなかった場合(正当な時季変更権の行使がない場合)、労働基準法第39条の違反とみなされ、事業主(経営者)には「6か月以下の懲役または30万円以下の罰金」が科せられる可能性があります(労働基準法第119条)。

時季変更権の要件を満たさない一方的な行使は、この罰則の対象となりうる行為です。

企業の社会的信用(レピュテーション)を守る

労使トラブル、特に退職時のトラブルは、SNSや転職口コミサイトなどを通じて瞬時に拡散されるリスクをはらんでいます。

「有給を使わせてくれないブラック企業」という評判が立てば、今後の優秀な人材の採用が困難になるだけでなく、既存の従業員の士気低下や、取引先・顧客からの信用失墜にもつながりかねません。目先の業務を優先した対応が、計り知れない損失を生むことを認識しておきましょう。

退職時の時季変更権は原則として認められない

退職時における時季変更権の行使は、労働者が指定した有給休暇の時季に代わる出勤日を設定できない以上、原則として法律上も実務上も認められません。人手不足や業務繁忙といった理由も、正当な行使理由とはされていません。

とはいえ、業務引継ぎなど事業運営の観点から、企業が従業員に協力を求めたくなる場面もあるでしょう。しかし、労働者の意思に反して有給休暇の取得を妨げることは、労働基準法違反となり、行政指導や罰則、企業イメージの低下といったリスクを招くおそれがあります。

そのため、退職時のトラブルを未然に防ぐには、平常時からの対応が何より重要です。有給休暇の取得を前提とした業務体制や引継ぎ計画の策定、就業規則による明確な退職手続きの整備、日常的な労使間の信頼関係づくりが、最終的に企業を守ることにつながります。

退職時には、従業員の申し出を冷静に受け止め、感謝を伝えつつ、有給休暇の取得希望と業務引継ぎを調整する丁寧な対話を心がけましょう。


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