- 更新日 : 2024年7月17日
人権デューデリジェンスとは?その意味や実施方法・課題・事例を詳しく解説
国際社会において近年、人権に関する企業の責任を問うシーンが増えています。不当な労働条件や差別、児童労働などは深刻な問題として、すべての企業に対応が求められているといっても過言ではありません。
人権における重大な問題を起こす企業は社会から批判を受け、既存ビジネスの存続を揺るがすことにもつながりかねないでしょう。本記事では、自社のビジネス上の人権リスクを徹底的に洗い出すために必要な人権デューデリジェンス(以下、人権DD)について解説します。
目次
人権デューデリジェンス(人権DD)とは
人権DDとは、自社のビジネス領域全般における人権リスクを洗い出し、予防策や改善策を講じつつ、適切なモニタリングと外部への情報開示を行う一連のプロセスです。
人権DDが洗い出す対象となる人権リスクとは、一般的に自社における範囲だけではなく、取引先なども含めたステークホルダー全般を指します。
具体的な人権リスクの代表例は以下のとおりです。
- 強制労働や児童労働
- 賃金未払いや残業過多などの不当な労働条件
- 各種ハラスメント
- 人種や性別などでの差別
- 表現や言論の自由の抑制
- プライバシーの問題
- 腐敗や汚職、賄賂 など
DDというと、M&Aでよく実施されるビジネスDDや財務DD、法務DDを思い浮かべる方が多いかもしれません。これらのDDと人権DDが異なる点は、M&Aだけではなく既存活動においてより重視されることと、外部への情報開示まで含んでいることです。
人権デューデリジェンスの目的や背景
人権DDを行う目的は、上記のような非人道的行為を未然に防ぎ、適切な対応策を取ることにほかなりません。人権リスクはすべての企業に存在するため、国際的な大企業に限らず、中小企業やスタートアップ企業にも人権DDが求められます。
人権DDの重要性が高まっている理由として、2011年の「ビジネスと人権に関する指導原則」が国連にて採択されたことが挙げられます。これ以降、グローバルで人権リスクに関する取り組みが加速し、イギリスでの2015年の現代奴隷法や、フランスの2017年の企業注意義務法制定が先駆けとなって欧米を中心に拡大しています。
日本でも政府や経済産業省が、2020年に「ビジネスと人権に関する行動計画」、2022年に「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のガイドライン(案)」、2023年に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」を全企業向けに策定・公表しました。
参考記事:
ビジネスと人権に関する行動計画に係る関係府省庁連絡会議「「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)」
経済産業省「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のガイドライン(案)」
経済産業省「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」
日本では義務化されているわけではない
現時点(2024年10月)で、日本では人権DDの義務化はされていません。前述した経済産業省のガイドラインは企業の自主的な取り組みを促すための指針であり、法的拘束力を持つものではありません。これは、EUの企業持続可能性デューデリジェンス指令(CSDDD)のように法制化され、違反に対する罰則も設けられている欧州の制度とは異なります。
とはいえ義務化されていないものの、グローバルサプライチェーンに組み込まれている日本企業は取引先からの要請に応える必要性があり、EUやその他の国々で人権DD関連の法規制が進んでいる以上、それらの市場での事業継続には対応が必須です。
また、今後日本でも、国際競争力の維持や人権保護の観点から、何らかの形で義務化される可能性は十分に考えられます。
人権デューデリジェンスの実施ステップ
人権DDを実際に行う際の基本的なステップは以下のとおりです。
- 人権方針の策定
- 人権リスクの特定と重要度の分析
- 人権リスクに対する予防策または対応策の実施
- 対応策や人権リスクの継続的なモニタリング
- 外部への情報開示
人権方針の策定
前章でご紹介した人権尊重に関するガイドラインでは、人権方針の策定において5つの原則を提示しています。
- 企業の経営トップの承認
- 社内外からの専門的な助言
- 従業員、取引先等への人権配慮の期待を明記
- 一般公開され、全ての従業員や、取引先、出資者、その他関係者に向け周知
- 企業全体の事業方針や手続に反映され体制を整備
人権DDの実施においては、まずこれらの観点を意識して人権方針を策定することが肝要です。
人権リスクの特定と重要度の分析
次に、ビジネスプロセスを可視化したうえで、顕在的・潜在的な人権リスクを洗い出しましょう。
限られたリソースのなかですべてのリスクに対応することは不可能に近いため「深刻度」と「発生可能性」を考慮してリスクの優先順位付けを行います。
人権リスクに対する予防策または対応策の実施
重要度が高い人権リスクに対しては、予防策や対応策を講じる必要があります。対応策としては、主に次の3つが挙げられるでしょう。
- 教育・研修の実施(社外研修や啓蒙活動も含む)
- 社内の環境や制度の整備
- サプライチェーンの管理と適切な対応(ガイドライン策定など)
対応策や人権リスクの継続的なモニタリング
対応策を定期的にモニタリングすることも欠かせません。その際には、 可能な限り定量的にトラッキングできる指標を設定 しましょう。
また、従業員や関係者への定期的なアンケートおよびヒアリングの実施や、第三者機関への監査の委託などを行い、対応策の客観性や妥当性を確認することも重要です。
外部への情報開示
先述したとおり、人権DDはM&Aで行われるDDと異なり、外部への情報開示も含んでいます。人権DDの最後のステップは、上記のアクションを適切に外部へ開示することです。
具体的には、すべてのステークホルダーがアクセスできる場所(HPなど)にて、特定した人権リスクや対応策、モニタリング結果に関する報告書を公開します。また、必要に応じて、第三者の外部専門機関からも協力を得たうえでレポートを作成しましょう。
人権デューデリジェンスの実施事例
人権DDは特定の業種に限定されるものではなく、すべての企業が取り組むべき重要な経営課題と言えます。むしろ業種の垣根を越えて、企業活動が人権に与える影響を包括的に評価し、適切に対応することが求められています。
ここでは、外務省が「「ビジネスと人権」 に関する取組事例集」で公表している人権DDの実施事例を紹介していきます。
味の素株式会社
味の素株式会社の人権DDの事例を紹介します。
【取り組みの背景】
2011年の指導原則採択後の調査で、欧米企業がすでに人権DDの具体的な実行段階に入っていたことが判明。調査の中では、「ビジネスと人権」の責任範囲が日本における認識より広いことも明らかになりました。その後、同社の参画するCGF(consumer goods forum)がバリューチェーン上の強制労働根絶を決議したことで、同社もこの決議に則った取り組みを求められるようになったのです。
【取り組みの内容】
2014年に企業行動規範で人権方針を策定し、2018年にはより包括的な人権グループポリシーを公表、2019年には従業員向けに人権Eラーニングを展開しました。重要課題は「別表」として分離することで、柔軟に見直しできるようにしています。また、独自ポリシーの策定が困難な場合は、外部方針への賛同という形でコミットメントを示しています。
ANAホールディングス株式会社
ANAホールディングス株式会社の人権DDの事例を紹介します。
【取り組みの背景】
2014年に広告表現に対して批判が寄せられたことをきっかけに、人権への取り組みを本格化。英国現代奴隷法の動向や、2015年の東京オリンピック・パラリンピックのオフィシャルパートナー就任も影響してのことです。
【取り組みの内容】
初めは人権チェックリストによる課題抽出を計画したものの、担当者の理解不足により方針を変更。代わりに外部専門家を含めたグループ全体のリスク評価とインタビューを実施しました。また英国現代奴隷法に従い、人身取引防止の取り組みを公開しています。
花王株式会社
花王株式会社の人権DDの事例を紹介します。
【取り組みの背景】
会社設立以来、「人」を大切にしながら事業活動を行うという理念を基本としており、そもそも顧客満足を重視したものづくりを行っていました。その中で2011年に策定された指導原則を機に、グローバル企業としての責任を認識し、人権尊重の姿勢を明確に示すため「花王人権方針」を策定・公表しました。
【取り組みの内容】
関係者と共に人権リスクマップを作成し、社員とサプライヤーを重点分野と特定。サプライヤーに対してはNPOのプラットフォームを活用したリスク評価を実施し、基準未達の場合は改善を要請しています。特にパーム油については、複雑なサプライチェーンの透明性確保と小規模農園の支援に取り組んでいます。
キリンホールディングス株式会社
キリンホールディングス株式会社の人権DDの事例を紹介します。
【取り組みの背景】
キリングループは従来のコンプライアンス・ガイドラインに基づく人権への取り組みを発展させ、2016年から国際的な人権動向の調査を開始しました。2017年からは社長直轄のCSV委員会での議論と社外専門家の助言を得て、グループ横断的に人権方針の策定を進め、2018年2月に完成。CSVを重視する経営戦略の一環として、人権をマテリアリティの重要課題と位置付けています。
【取り組みの内容】
高リスク国・地域の事業会社に対し、本社担当者が現地訪問して人権アセスメントを実施し、現地と共同で行動計画を作成。進捗のモニタリングと報告書の公表を行っています。二次サプライヤーへは一次サプライヤーと共同で現地訪問を行い、新規事業の意思決定にも人権の視点を組み込みました。
清水建設株式会社
清水建設株式会社の人権DDの事例を紹介します。
【取り組みの背景】
1980年代から人権研修を実施するなど経営層の理解も深かったが、グローバル展開とESGへの社会的要請を受け、取り組みの見直しを開始しました。2018年12月に「シミズグループ人権基本方針」を策定し、既存の「企業倫理行動規範」における「人を大切にする企業」の実現に向けた具体的指針として位置付けています。
【取り組みの内容】
建設業の特性から、外国人労働者(特に技能実習生)の人権リスクを重要課題と特定。協力会社への実態調査とインタビューを実施し、調査結果を専用サイトで共有しました。協力会社との契約約款に「人権の尊重」を明記し、二次サプライヤーへの働きかけも要請しています。今後の取り組みとして、アンケート調査や海外の実態把握も計画中です。
人権デューデリジェンスを行う際の注意点
人権DDを実施するにあたっては、以下の点に注意する必要があります。
- ステークホルダー全体の視点を意識
- 人によって重要度や捉え方が異なることに留意
- 優先順位をつけて戦略的に対応する
- 経営トップが本気で取り組む姿勢を示す
人権DDでは、企業単体ではなく、取引先や顧客、株主などを含むステークホルダー全体でのリスクの洗い出しが必要です。
一方、人権という人の主観に依拠したテーマを扱うことから、人によってリスクの重要度や捉え方が異なる点に留意しましょう。客観的にリスクを認識するためには、外部の機関に委託して評価を得ることも有効です。
また、人権DDは、基本的に中長期的な取り組みとなります。加えて、大企業はサプライチェーンが複雑で、中小企業はリソースが限定的であるため、すべての人権リスクに対応することは困難です。継続的な取り組みであることを前提に、優先順位を明確にして重大なリスクから対応しましょう。
その際には、事業戦略や実際のアクションにも反映させ、経営トップから本気で取り組みを浸透させることも欠かせません。
まとめ
本記事では、人権DDの定義や目的、具体的な実施のステップ、注意点について解説しました。
企業規模にかかわらず、人権リスクへの対策は重要な取り組みとして国際的に注目されています。人権という難易度の高いテーマを扱う特性上、M&AなどのDDとは押さえておくべきポイントが異なることを忘れてはいけません。
今回ご紹介した内容を参考に人権リスクを認識し、外部の専門機関の協力も得ながら適切な対策を講じていきましょう。
※ 掲載している情報は記事更新時点のものです。
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