- 作成日 : 2025年6月13日
マルチプル法とは?企業価値評価の基本を種類・計算方法・注意点まで徹底解説
企業の価値を評価する手法は多岐にわたりますが、その中でもマルチプル法は、実務において広く活用されている手法の一つです。
この記事では、M&Aなどに携わる企業担当者の皆様に向けて、このマルチプル法の基本的な定義から、その重要性、他の評価手法との関係性、具体的な種類や計算方法、そして利用する上での注意点までを詳しく解説いたします。
目次
マルチプル法とは?
マルチプル法を一言で表すならば、上場している類似企業の株価や財務指標を参考に、評価したい企業の売上高や利益といった主要な業績指標(KPI)に特定の倍率を乗じることで、その企業の相対的な価値を算出する方法です。この手法は、市場の動向を反映した客観的な評価が可能であると考えられています。
では、なぜマルチプル法はこれほどまでに重要なのでしょうか。その理由は、主にM&A(企業の合併・買収)や投資判断といった場面での活用にあります。M&Aにおいては、買い手企業が非上場である売り手企業の価値を客観的に評価し、最終的な取引価格を決定する際の重要な目安となります。また、株式投資の判断においては、ある企業の株価が同業他社と比較して割高なのか、それとも割安なのかを判断するための重要な材料となります。近年では、ベンチャーキャピタルなどが投資先の企業価値を評価する際にも、このマルチプル法が活用されるケースが増えています。
企業価値評価の手法は、マルチプル法以外にも存在します。大きく分けると、類似する企業や取引を比較して価値を評価する「マーケットアプローチ」、将来の収益やキャッシュ・フローに基づいて価値を評価する「インカムアプローチ」、そして企業の持つ資産価値に基づいて評価する「コストアプローチ」の3つに分類されます。マルチプル法は、この中のマーケットアプローチに位置づけられます。
インカムアプローチの代表的な手法であるDCF法(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー法)は、将来のキャッシュ・フローを予測して現在価値に割り引くことで企業価値を算出しますが、複雑な計算を必要とします。一方、マルチプル法は、比較的容易に計算でき、市場の動向を反映した客観的な価値を把握しやすいという特徴があります。ただし、将来の成長予測などを直接的に評価に反映させることは難しいという側面もあります。
コストアプローチの代表的な手法である純資産法は、企業の貸借対照表に記載された資産から負債を差し引いた純資産額を基に価値を評価するため、現時点での客観的な資産価値を把握することができます。しかし、将来の収益力や市場における評価を反映しにくいという点があります。
マルチプル法の基本的な考え方
マルチプル法の根幹にある考え方は、「類似のものは類似の価格で取引される」という市場原理です。これは、市場の参加者は、事業内容や規模、収益性などが類似している企業に対しては、似たような価値を与えるであろうという考えに基づいています。
この考え方をより具体的にイメージするために、不動産の価格を例に考えてみましょう。ある不動産の価値を知りたい場合、私たちは周辺にある類似した物件の最近の取引価格を参考にすることが多いでしょう。間取りや築年数、立地条件などが似ている物件が高値で取引されていれば、その不動産も同様の価値を持つ可能性が高いと判断できます。
マルチプル法も、これと非常によく似た考え方を用います。評価したい企業の価値を、市場で取引されている類似の上場企業の株価や財務指標と比較することで、その企業の価値を推測するのです。
マルチプル法には、大きく分けて2つの主要なアプローチがあります。一つは「類似企業比較法(Comparable Company Analysis / Comps)」、もう一つは「類似取引比較法(Precedent Transaction Analysis / Precedents)」です。
類似企業比較法は、評価対象となる企業と、事業内容や規模、収益構造などが類似している上場企業を複数選定し、これらの企業の財務指標と株価から算出される各種の倍率(マルチプル)を分析します。そして、この分析結果を基に、評価対象企業の価値を算定します。このアプローチは、現在の市場における類似企業の評価を直接的に反映できるという特徴があります。
一方、類似取引比較法は、過去に類似の企業間で実際に成立したM&A(企業の合併・買収)取引における買収価格のデータを分析します。過去の取引事例における買収価格と、その当時の対象企業の財務指標との関係性を把握し、これを評価対象企業に適用することで価値を推定します。この手法の大きな特徴は、M&A特有の要素であるコントロールプレミアム(支配権を獲得するために買収価格に上乗せされる金額)が考慮される点です。
マルチプル法の主な種類と計算式
マルチプル法で使用される倍率(マルチプル)は、大きく「株主価値マルチプル」と「事業価値マルチプル」の2つに分類できます。
株主価値マルチプルは、企業の株式の価値、つまり株主が持つ価値に関連する指標であり、主に株価の割安性や割高性を判断するために用いられます。一方、事業価値マルチプルは、企業の事業全体の価値、つまり株主だけでなく債権者なども含めた企業全体の価値に関連する指標であり、M&Aなどの企業買収の際に重視されます。
株主価値マルチプル(Equity Multiples):株価の割安・割高を判断する
◉PER(株価収益率)
計算方法:
意味:PERは、現在の株価が、1株当たりの当期純利益の何倍になっているかを示す指標です。これは、投資した資金が何年で回収できるかの目安とも考えられます。一般的に、PERの数値が低いほど株価は割安であると判断されます。
見方:PERを使って株価の割安・割高を判断する際には、同業他社のPERと比較したり、過去の自社のPERの推移を見たりすることが重要です。PERの平均的な水準は業種によって大きく異なるため、異業種間の単純な比較は避けるべきです。
どんな時に使うか:PERは、企業の収益力と株価を比較し、投資判断を行う際の基本的な指標として広く用いられます。一般的に、将来の成長が期待される企業ではPERが高くなる傾向があります。
◉PBR(株価純資産倍率)
計算方法:
意味:PBRは、現在の株価が、1株当たりの純資産の何倍になっているかを示す指標です。これは、企業の資産価値に対して株価が割安なのか割高なのかを判断する目安となります。一般的に、PBRが1倍を下回っている場合は、株価が企業の解散価値よりも低いとされ、割安であると解釈されることがあります。
見方:PBRもPERと同様に、同業他社との比較や過去の推移を確認することで、株価の割安・割高を判断します。PBRの平均的な水準も業種によって異なるため、注意が必要です。
どんな時に使うか:PBRは、企業の持つ資産価値に着目した投資判断を行う際に用いられます。特に、不動産や金融など、多くの資産を保有する企業を評価する際に有効な指標とされています。
◉PSR(株価売上高倍率)
計算方法:
意味:PSRは、現在の株価が、年間売上高の何倍になっているかを示す指標です。利益が出ていない成長企業や赤字企業を評価する際に特に有効な指標とされています。
見方:一般的に、PSRの数値が高いほど株価は割高、低いほど割安と判断されますが、業種や企業の成長段階によってその目安となる水準は大きく異なります。
赤字企業への適用など:PSRの最大の特徴は、利益が出ていない企業でも評価できる点です。これは、将来的な成長によって収益性が改善する可能性のある企業を評価する際に特に重要となります。
◉PCFR(株価キャッシュ・フロー倍率)
計算方法:
意味:PCFRは、現在の株価が、1株当たりキャッシュ・フローの何倍になっているかを示す指標です。PERが利益に着目するのに対し、PCFRは企業の現金収支、つまりキャッシュ・フローに着目して株価の割安・割高を判断します。
見方:PCFRもPERと同様に、同業他社との比較や過去の推移を見ることで判断します。会計基準によって利益が変動しやすい企業や、減価償却費などの非現金支出が多い企業を評価する際に、PERよりも実態に近い評価ができる場合があります。
◉配当利回り
計算方法:
意味:配当利回りは、購入した株価に対して、1年間でどれだけの配当金を受け取ることができるかを示す割合です。
見方:一般的に、配当利回りが高いほど、投資した金額に対して得られる配当金の割合が大きいと言えます。しかし、高配当利回りの企業が必ずしも優良な投資先であるとは限りません。企業の財務状況が悪化している場合や、将来的に減配のリスクがある場合も考慮する必要があります。また、業種によって平均的な配当利回りは異なるため、同業他社との比較が重要です。
事業価値マルチプル(Enterprise Value Multiples):事業全体の価値を評価する
◉EV/EBITDA倍率
計算方法:
ここで、EV(企業価値)は一般的に「時価総額 + 有利子負債 – 現金及び現金同等物」で計算され、EBITDAは「税引前当期純利益 + 減価償却費」で計算されます。
意味:EV/EBITDA倍率は、企業の事業価値が、利払い前・税引前・償却前利益であるEBITDAの何倍であるかを示す指標です。これは、企業を買収した場合に、何年で投資資金を回収できるかの目安となると考えられています。
見方:同業他社のEV/EBITDA倍率と比較することで、評価対象企業の価値が割安なのか割高なのかを判断します。ただし、業種によって平均的な倍率は大きく異なるため、業界の特性を考慮する必要があります。
M&Aで重視される理由:EV/EBITDA倍率は、資本構成(借入金の多さなど)や税制、会計基準の違いによる影響を受けにくいため、異なる国や地域の企業間での比較に適しています。また、企業の収益力を示す指標として、M&Aの現場で非常に重視されています。
◉EV/EBIT倍率
計算方法:
EBITは、「税引前当期純利益 + 支払利息 – 受取利息」で計算されます。営業利益に近い利益と捉えることもできます。
意味:EV/EBIT倍率は、企業の事業価値が、利払い前・税引前利益であるEBITの何倍であるかを示す指標です。
見方:同業他社のEV/EBIT倍率と比較して、企業の価値を相対的に評価します。
EBITDAとの違い:EBITDAは減価償却費を控除する前の利益であるのに対し、EBITは減価償却費を控除した後の利益です。設備投資の規模が大きい企業の場合、EBITとEBITDAの差が大きくなる傾向があります。そのため、設備投資の重要性が高い業種では、EV/EBIT倍率も重視されることがあります。
◉EV/売上高倍率
計算方法:
意味:EV/売上高倍率は、企業の事業価値が、年間売上高の何倍であるかを示す指標です。
見方:同業他社のEV/売上高倍率と比較することで、企業の価値を相対的に評価します。
PSRとの関係性:PSR(株価売上高倍率)は、時価総額を売上高で割って算出しますが、EV/売上高倍率では、分母に株主価値だけでなく負債価値も考慮した事業価値を用いる点が異なります。まだ利益が出ていないものの、将来的な成長が期待されるベンチャー企業などを評価する際に、売上高を基準としたこの指標が用いられることがあります。
各マルチプルの使い分け
適切なマルチプルは、評価対象となる企業の業種や成長ステージによって異なります。
マルチプル | 計算方法 | 主な用途 | 関連する業種 |
---|---|---|---|
PER(株価収益率) | 株価 ÷ 1株当たり当期純利益 | 株価の割安・割高判断、投資判断 | 収益が安定している成熟企業など |
PBR(株価純資産倍率) | 株価 ÷ 1株当たり純資産 | 株価の割安・割高判断、資産価値に着目した投資判断 | 不動産、金融など資産を多く保有する企業 |
PSR(株価売上高倍率) | 株価 ÷ 1株当たり売上高または 時価総額 ÷ 年間売上高 | 成長企業、赤字企業の評価 | スタートアップ、ベンチャー企業など |
PCFR(株価キャッシュ・フロー倍率) | 株価 ÷ 1株当たりキャッシュ・フロー<または 時価総額 ÷ 年間キャッシュ・フロー | 株価の割安・割高判断、現金収支に着目した評価 | 減価償却費が多い企業など |
配当利回り | 1株当たりの年間配当金額 ÷ 株価 × 100% | 投資効率の評価、インカムゲインを重視する投資家 | 安定した配当を行う成熟企業 |
EV/EBITDA倍率 | EV ÷ EBITDA | 企業価値評価、M&Aにおける買収価格の目安、国際比較 | 多くの業種で広く利用 |
EV/EBIT倍率 | EV ÷ EBIT | 企業価値評価、設備投資の大きい企業の評価 | 設備投資が重要な業種 |
EV/売上高倍率 | EV ÷ 売上高 | 企業価値評価、未上場企業や赤字企業の評価 | ベンチャー企業など |
収益が安定している成熟した企業には、PERやPBRといった株主価値マルチプルが適している場合があります。一方、まだ利益が出ていないスタートアップ企業などには、PSRやEV/売上高倍率といった売上高を基準としたマルチプルが用いられることが多いです。M&Aにおいては、EV/EBITDA倍率が、資本構成や会計基準の違いの影響を受けにくいため、広く用いられる傾向があります。また、金融機関などのように、自己資本の充実度が重視される業種では、PBRが特に重要視されることもあります。
マルチプル法の実践ステップ
ここでは、マルチプル法の代表的なアプローチである類似企業比較法を用いて、実際に企業価値を評価する際の具体的なステップを解説いたします。
1:評価対象企業と類似企業の選定
まず、評価したい企業(評価対象企業)と、その企業と事業内容や規模などが類似している上場企業を複数選定します。類似企業の選定は、マルチプル法の精度を大きく左右する最も重要なステップの一つです。
選定の際には、事業内容が類似していることはもちろん、ビジネスモデル、企業の規模(売上高、資産規模、従業員数など)、収益性(利益率など)、成長率、そして事業を展開している地域なども考慮する必要があります。一般的には、上場企業の中から類似性の高い企業を選び出します。
ただし、完全に同じ事業内容の上場企業を見つけることは難しい場合も多く、どこまで類似性を許容するかの判断が重要になります。類似企業の選定は、評価者の経験や知識によって左右される部分も大きく、恣意性が入りやすい点に注意が必要です。業種分類システム(GICSやNAICSなど)を活用することも、類似企業を探す上で有効な手段となります。
2:財務データの収集と標準化
次に、選定した類似企業について、株価情報とともに、売上高、利益(営業利益、EBITDA、当期純利益など)、純資産などの財務データを収集します。財務データは、直近12ヶ月のデータを用いるのが一般的です。
評価対象企業と類似企業で会計基準が異なる場合(例えば、評価対象企業が日本の会計基準を採用しており、類似企業がIFRSを採用している場合など)には、会計基準の差異を調整し、財務データの比較可能性を高める必要があります。中小企業の場合、税金計算を目的とした税務会計に基づいて決算書が作成されていることが少なくありません。このような場合には、企業の経済的実態をより正確に反映するために、企業会計基準に基づいて財務データに修正するなどの調整が行われることがあります。具体的には、未払費用の計上、賞与引当金や退職給付引当金の計上、減価償却の過不足の修正などが挙げられます。
3:各マルチプルの計算
収集した財務データと株価情報を用いて、類似企業について、PER、PBR、EV/EBITDAなどの適切なマルチプルを計算します。
計算の際には、各マルチプルの分母と分子の定義を正確に理解しておくことが重要です(例えば、EV/EBITDA倍率におけるEVやEBITDAの定義など)。
4:マルチプルの分析と比較、評価レンジの決定
計算された類似企業のマルチプルを分析し、平均値や中央値を算出します。一般的に、平均値よりも中央値の方が、極端な数値(異常値)の影響を受けにくいとされています。
次に、評価対象企業の該当する財務指標に、類似企業のマルチプルの平均値や中央値を乗じることで、評価対象企業の価値を推定します。類似企業のマルチプルのレンジ(最低値から最高値までの範囲)を考慮することで、評価対象企業の価値のレンジを把握することも可能です。
分析の過程で、類似企業の中に異常値を示す企業が見つかった場合には、その原因を特定し、必要に応じて分析から除外するなどの対応を検討します。例えば、類似企業の中に一時的な要因で業績が大きく変動している企業が含まれている場合などが考えられます。
5:評価結果の解釈と調整
マルチプル法によって算出された評価結果は、あくまで相対的な価値の目安です。最終的な企業価値を決定する際には、評価対象企業固有の定性的な要因(例えば、経営陣の資質、ブランド力、技術力、顧客基盤、将来の成長性、リスクなど)を考慮し、必要に応じて評価額を調整することがあります。
マルチプル法のメリット
マルチプル法が企業価値評価において広く用いられているのには、いくつかの重要なメリットがあります。
相対的な市場価値を反映しやすい
マルチプル法は、上場している類似企業の株価を基に企業の価値を評価するため、市場参加者が類似の企業に対してどのような評価を与えているのかを直接的に反映することができます。特にM&Aにおいては、買収後の統合や市場での競争を考慮する上で、市場の視点を取り入れた評価は非常に重要となります。
計算が比較的容易で理解しやすい
DCF法のように将来のキャッシュ・フローを詳細に予測し、複雑な割引計算を行う必要がないため、マルチプル法は比較的シンプルな計算で企業価値を算出することができます。この簡便さから、M&Aの初期検討段階や、多数の候補企業をスクリーニングする際などに、迅速に企業価値の目安を把握するのに役立ちます。
広く利用されており比較可能性が高い
マルチプル法は、多くの企業や投資家によって広く利用されている評価手法であるため、異なる企業間や業界内での価値の比較が容易に行えます。様々なマルチプル指標が共通言語として用いられることで、企業価値に関するコミュニケーションも円滑になります。
必要な情報が比較的入手しやすい
特に類似企業比較法においては、評価の基礎となる上場企業の株価や財務データは、証券取引所のウェブサイトや金融情報サービスなどから比較的容易に入手することができます。この情報の入手しやすさも、マルチプル法が広く利用される理由の一つです。
マルチプル法のデメリットと注意点
一方で、マルチプル法にはいくつかのデメリットや注意点も存在します。これらを理解しておくことは、マルチプル法を適切に利用するために非常に重要です。
類似企業の選定が難しい、恣意性が入りやすい
マルチプル法の最も大きな課題の一つが、評価対象企業と真に類似した上場企業を選定することの難しさです。事業内容、規模、収益構造、成長段階などが完全に一致する企業を見つけることは稀であり、最終的には評価者の判断によって類似企業が選ばれるため、恣意性が入り込む余地があります。類似企業の選定次第で評価結果が大きく変動する可能性があるため、慎重な検討が必要です。
市場の状況(バブルや暴落)に影響されやすい
マルチプル法は、上場企業の株価を評価の基礎とするため、市場全体の状況(例えば、株式市場が過熱している時期や、逆に大幅に下落している時期など)に大きく影響を受けます。市場が必ずしも企業の財政的な価値を正確に反映しているとは限らないため、市場の状況によっては、マルチプル法による評価結果が実態と乖離してしまう可能性があります。
企業の個別事情(成長性、リスク、経営陣の質など)を反映しきれない場合がある
類似企業の平均的なマルチプルを適用するため、評価対象企業固有の成長性、リスク、経営陣の質、ブランド力、技術力といった、数値化しにくい重要な個別事情を十分に反映できない場合があります。特に、独自の強みや将来性を持つ企業の場合、類似企業の平均的な評価ではその価値を適切に捉えられない可能性があります。
会計基準の違いや一時的な損益による調整が必要な場合がある
評価対象企業と類似企業の間で会計基準が異なる場合や、一時的な要因による損益が財務データに含まれている場合には、単純にマルチプルを比較するだけでは不適切です。このような場合には、会計基準の差異を調整したり、一時的な損益を除外したりするなどの調整作業が必要となり、専門的な知識が求められます。
マルチプル単独での評価の限界
上記のようなデメリットが存在するため、マルチプル法だけで企業の価値を判断するのではなく、DCF法や純資産法といった他の評価手法と組み合わせて用いることが推奨されます。複数の評価手法を用いることで、それぞれの欠点を補い、より多角的な視点から企業の価値を評価することができます。
非公開企業への適用における難しさ
非公開企業の場合、類似する上場企業を見つけるのがより困難になることがあります。また、上場企業のように市場で自由に取引されていないため、流動性ディスカウント(非公開であることによる価値の割り引き)を考慮する必要があるなど、評価がより複雑になる場合があります。
M&Aにおけるマルチプル法の活用
M&A(企業の合併・買収)のプロセスにおいて、マルチプル法は様々な場面で活用され、その重要性は非常に高いと言えます。
M&A価格の目安算出
M&Aの初期段階において、マルチプル法は、買収対象となる企業の価格のおおよその目安、つまりバリュエーションレンジを迅速に算出するために用いられます。これにより、買い手は買収の可能性や予算感を初期段階で把握することができます。
交渉における価格レンジの設定
算出されたバリュエーションレンジは、買い手と売り手の間の価格交渉において、価格帯の上限と下限を設定するための理論的な根拠となります。類似企業の市場での評価を基にしているため、客観的な視点から価格交渉を進めることができます。
類似取引比較法の活用
過去に類似の企業間で実際に成立したM&A取引のデータを分析する類似取引比較法は、M&Aにおけるマルチプル法の重要な活用の一つです。この分析を通じて、市場における類似企業の買収価格の実勢や、支配権獲得のために買収価格に上乗せされるコントロールプレミアムの水準を把握し、現在の買収価格の妥当性を評価することができます。コントロールプレミアムの相場は、個々の案件の状況によって大きく変動しますが、一般的には対象企業の市場株価に対して20%から40%程度の上乗せとなることが多いとされています。
デューデリジェンス(DD)における活用
M&Aにおけるデューデリジェンス(買収監査)の過程においても、マルチプル法は重要な役割を果たします。他の評価手法(例えばDCF法など)を用いて算出された評価額と、マルチプル法による評価額を比較することで、買収価格の妥当性を検証するための重要な材料となります。もし両者の評価額に大きな乖離がある場合には、その原因を精査し、買収戦略や価格交渉に反映させることができます。
マルチプル法と他の企業価値評価手法との比較
マルチプル法は、他の代表的な企業価値評価手法であるDCF法(インカムアプローチ)や純資産法(コストアプローチ)とそれぞれ異なる特徴を持っています。それぞれの違いを理解することは、状況に応じて最適な評価手法を選択する上で非常に重要です。
DCF法(インカムアプローチ)との違い
DCF法は、評価対象となる企業が将来生み出すと予測されるキャッシュ・フローを、リスクを考慮した割引率で現在価値に割り引くことで企業価値を評価する、絶対評価の手法です。
DCF法のメリット:将来の成長性や収益性を詳細に予測し、評価に反映させることができるため、理論的な企業価値を算出することが可能です。
DCF法のデメリット:将来の予測には不確実性が伴い、その予測の精度が評価結果に大きく影響します。また、将来のキャッシュ・フローの予測や割引率の設定など、計算が複雑になる傾向があります。
一方、マルチプル法は、現在の市場における類似企業の評価を基に相対的に価値を判断する手法であり、将来予測は間接的にしか考慮されません。しかし、計算が比較的容易であり、市場の状況を反映しやすいというメリットがあります。
純資産法(コストアプローチ)との違い
純資産法は、企業の貸借対照表に記載された資産から負債を差し引いた純資産額を基に企業価値を評価する手法です。企業の帳簿価格を基にする簿価純資産法と、資産・負債を時価に修正して計算する時価純資産法があります。
純資産法のメリット:会計上の数値を基に計算するため客観性が高く、計算も比較的容易です。
純資産法のデメリット:現時点での資産価値しか反映せず、将来の収益力や市場における評価を考慮しないため、事業の継続性を前提とした企業の価値評価には適さない場合があります。
マルチプル法は、市場における類似企業の評価を反映しますが、純資産法は企業の持つ資産そのものの価値に着目します。
なぜ複数の手法を組み合わせて評価するのか
上記のように、それぞれの評価手法は異なる視点から企業の価値を捉えるため、単独の手法だけでは限界があります。複数の手法を組み合わせることで、それぞれの欠点を補い、より多角的な視点から企業の価値を評価することが可能になります。マルチプル法は、市場の評価を迅速に反映できるという強みを持つため、他の評価手法の結果の妥当性を検証する上でも重要な役割を果たします。
マルチプル法を正しく理解し、企業価値評価に活かそう
マルチプル法は、類似企業の市場価格を基に、評価対象企業の価値を相対的に評価する手法であり、計算が比較的容易で市場の動向を反映しやすいという特徴があります。M&Aや投資判断の現場で広く活用されており、その重要性は言うまでもありません。
しかしながら、類似企業の選定の難しさ、市場の状況に左右されやすい点、企業の個別事情を反映しきれない場合があるといった限界も存在します。
マルチプル法を利用する上で最も重要な心構えは、その結果を鵜呑みにせず、他の情報や分析と合わせて総合的に判断することです。マルチプル法のメリットとデメリットをしっかりと理解し、他の評価手法とも組み合わせながら、より精緻な企業価値評価を目指していくことが重要です。
※ 掲載している情報は記事更新時点のものです。
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