- 作成日 : 2025年6月16日
製造業界(メーカー)のM&A動向は?メリットや注意点について解説
日本の経済を長らく支えてきた製造業は、今、大きな変革の波に直面しています。グローバルな競争の激化、国内の少子高齢化に伴う労働力不足や事業承継の問題、そしてデジタルトランスフォーメーション(DX)の急速な進展といった要因が、従来のビジネスモデルに変化を迫っています。このような環境下で、企業の持続的な成長と競争力強化を実現するための戦略的な選択肢として、「M&A(合併・買収)」の重要性が急速に高まっています。
この記事では、日本の製造業におけるM&Aの最新動向、M&Aがもたらすメリット、具体的なプロセス、そして成功のために留意すべき注意点やリスクについて解説します。
目次
製造業界(メーカー)の現状
日本の製造業は、長年にわたり日本経済の中核を担ってきましたが、その市場環境は変化しています。経済産業省のデータによると、過去25年間の日本の製造業の売上高は、約400兆円規模で横ばいの状況が続いています。これは、国内市場の成熟や人口減少による市場縮小の可能性を示唆していると考えられます。
一方で、グローバル化の進展は顕著です。多くの製造業が海外に活路を見出し、海外現地法人の売上高や海外への直接投資、そしてそこからの収益は増加傾向にあります。特に、海外直接投資からの収益(第一次所得収支)は、比較可能な1985年以降で過去最大を記録するなど、海外事業が日本企業にとって重要な収益源となっています。
しかし、課題も少なくありません。2022年には、エネルギー価格の高騰などの影響もあり、比較可能な1996年以降で過去最大の貿易赤字を記録しました。また、収益性の面では、営業利益は近年回復傾向は見られるものの、純利益率やROE(自己資本利益率)といった指標では、欧米の主要企業と比較して依然として低い水準にあると指摘されています。
参照:製造業を巡る現状と課題 今後の政策の方向性|経済産業省
製造業界(メーカー)の課題
日本の製造業は、市場規模や収益性の課題に加え、いくつかの構造的な課題に直面しています。これらは相互に関連し合い、企業の持続的な成長にとって重要な論点となっています。
人手不足と事業承継問題
製造業における最も深刻な課題の一つが、人手不足とそれに伴う事業承継の問題です。就業者数は長期的に減少傾向にあり、特に将来を担う若年層の確保が難しくなっています。
その一方で、高齢の就業者は増加しており、産業全体の高齢化が急速に進んでいます。これは特に、多くの中小企業において経営者の高齢化と後継者不在という問題を引き起こしています。適切な後継者が見つからないために、技術力やノウハウがありながらも廃業を選択せざるを得ないケースが増加しており、これは地域経済の衰退や貴重な技術の喪失にも繋がりかねません。
さらに、人材育成の面でも課題が指摘されています。経済産業省の調査によれば、「指導する人材が不足している」と感じている企業が多く存在し、技術や技能の円滑な継承が難しくなっている状況がうかがえます。
これらの人手不足と後継者問題は、特に中小製造業の存続そのものを脅かす喫緊の課題であり、事業継続のための解決策としてM&Aが重要な選択肢となっています。
DXの遅れと設備投資
日本の製造業は、世界的に見ても高い技術力を持っていると評価されていますが、デジタルトランスフォーメーション(DX)やIT技術の活用においては、一部で遅れが指摘されています。特に中小企業においては、DX推進のための投資や人材確保が十分に進んでいない傾向が見られます。
設備投資に関しても、工場設備などの有形固定資産への投資は行われているものの、ソフトウェア開発やシステム導入といったDX推進に不可欠な無形固定資産への投資が不十分な企業が多いという実態があります。
このDXの遅れは、単に最新技術を導入できていないという問題にとどまりません。生産性の向上や新たなビジネスモデルの構築を妨げる要因となるだけでなく、自動化の遅れなどを通じて、人手不足の問題をさらに深刻化させる可能性もはらんでいます。経済産業省が発行する「ものづくり白書」においても、DX推進の重要性とその課題について、繰り返し言及されています。
DXの遅れは、生産性、国際競争力、そして人材確保という、製造業が抱える複数の課題に深く関わる構造的な問題であり、このギャップを埋めるための手段として、M&AによるIT人材や技術の獲得が注目されています。
グローバル競争とサプライチェーン
グローバル化の進展は、日本の製造業にとって大きな機会であると同時に、厳しい競争環境をもたらしています。特に、価格競争力を持つアジア企業などの台頭により、多くの分野で競争が激化しています。
多くの日本企業が海外売上比率を高め、グローバル展開を進めていますが、その一方で、進出先の多様化や事業の多角化が経営の複雑性を増し、かえって収益性を低下させるリスクも指摘されています。海外展開を成功させるためには、高度な経営管理能力が求められます。
加えて、近年のパンデミックや地政学的な緊張の高まりは、グローバルサプライチェーンの脆弱性を露呈させました。この経験から、多くの企業にとってサプライチェーンの強靭化が喫緊の経営課題となっています。生産拠点の国内回帰や、より安定した供給網の再構築に向けた動きも見られます。
このように、グローバル化は経営の複雑化や新たなリスクへの対応といった課題ももたらしており、サプライチェーン全体の最適化と安定化が急務となっています。M&Aは、海外企業の買収による競争力強化、ノンコアな海外事業の売却による経営の効率化、あるいはサプライヤーの買収による垂直統合など、これらの課題に対応するための戦略的な手段として活用されています。
製造業界(メーカー)のM&A動向
近年、日本企業が関わるM&Aの件数は全体として増加傾向にあります。2019年には過去最高となる4,088件を記録し、新型コロナウイルスの影響で一時的な落ち込みは見られたものの、依然として高い水準で推移しています。
この傾向は製造業においても同様で、M&Aは活発に行われています。製造業を対象としたM&A件数は、2022年に216件、2023年には240件に達し、過去最高を更新しました。
特に注目されるのが、中小企業におけるM&Aの増加です。全国の事業承継・引継ぎ支援センターや民間のM&A支援機関を通じた成約件数が増加しており、これは後述する事業承継問題の深刻化と密接に関連しています。
これらのデータは、M&Aが一過性の現象ではなく、製造業を含む多くの日本企業にとって、事業承継や成長戦略を実現するための定着した経営手段となっていることを示しています。特に中小企業においては、事業を次世代に繋ぐための不可欠な選択肢となりつつあると言えるでしょう。
製造業界(メーカー)の企業価値評価の考え方
M&Aにおける企業の売買価格は、最終的には買い手と売り手の交渉によって決定されます。しかし、その交渉の出発点となり、客観的な基準となるのが「企業価値評価(バリュエーション)」です。
企業価値評価には、主に以下の3つのアプローチが存在します。
- コストアプローチ
企業の純資産(資産から負債を差し引いたもの)を基準に評価する手法です。帳簿上の純資産を用いる「簿価純資産法」や、資産・負債を時価で評価し直す「時価純資産法」などがあります。客観性が高いとされる一方、将来の収益性を直接反映しにくい側面があります。 - マーケットアプローチ
上場している類似企業の株価や、過去の類似M&A取引事例などを参考に、相対的に企業価値を評価する手法です。「類似会社比較法(マルチプル法)」などが代表的です。市場での評価を反映しやすいですが、完全に類似した企業や取引を見つけるのが難しい場合があります。 - インカムアプローチ
企業が将来生み出すと期待される収益やキャッシュ・フローを現在価値に割り引いて評価する手法です。「DCF(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー)法」が代表的です。企業の将来性を評価に反映できますが、将来予測の精度に結果が大きく左右されます。
特に中小企業のM&Aにおいては、客観性や計算の簡便性から、コストアプローチの一種である「時価純資産法」をベースとしつつ、将来の収益力(のれん代)を営業利益の数年分などで加算して評価する方式が、実務上よく用いられます。
重要なのは、これらの評価手法によって算出される価値はあくまで理論値であり、交渉の出発点であるということです。最終的な取引価格は、評価額を参考にしつつも、買い手と売り手の交渉力、 M&Aの戦略的重要性、期待されるシナジー効果など、様々な要因によって決定されます。絶対的な「正解」価格というものは存在しないのです。
製造業界(メーカー)で用いられる評価指標
製造業のM&A価格を検討する際に、目安として用いられる代表的な指標をいくつかご紹介します。
時価純資産 + 営業利益の数年分
これは、特に中小企業のM&Aにおいて、簡易的ながら実務で広く用いられている評価の目安です。「時価純資産額 + 営業利益 × 2~5年分」が一つの相場観とされています。
ここでいう「時価純資産」は、企業の貸借対照表に記載されている資産と負債を、帳簿上の価格ではなく、現在の市場価値(時価)で評価し直したものです。そして、「営業利益の数年分」として加算される部分が、帳簿には表れない企業の無形資産価値、すなわち「のれん(営業権)」に相当します。この「のれん」には、企業の持つ技術力、ノウハウ、ブランドイメージ、顧客基盤、従業員の質などが含まれます。何年分の営業利益を加算するか(=評価倍率)は、企業の収益性、安定性、成長性、保有する技術の独自性などによって変動します。
EBITDAマルチプル(倍率)
EBITDAマルチプルは、企業の収益力に基づいて企業価値を評価する指標で、特にマーケットアプローチ(類似会社比較法)において頻繁に用いられます。代表的なものが「EV/EBITDA倍率」です。
EBITDA(イービットディーエー)
EBITDA(イービットディーエー)とは、「利払い前・税引き前・減価償却前利益」を意味し、簡易的には「営業利益 + 減価償却費」で計算されることが多いです。これは、金利負担や税率、会計上の減価償却方法の違いといった要素の影響を除いた、企業が事業活動から生み出す本来のキャッシュ・フロー創出力に近い指標とされています。
EV(企業価値)
EV(企業価値)とは、株式時価総額に有利子負債を加算し、現預金を控除したもので、事業そのものの価値を表します。
EV/EBITDA倍率
EV/EBITDA倍率は、このEVをEBITDAで割ったもので、「企業価値がEBITDAの何倍か」を示します。これは、買収に必要な資金を、事業が生み出すキャッシュ・フロー(EBITDA)で何年で回収できるかの目安としても解釈されます。
製造業のEBITDA倍率の目安は、業種、企業規模、成長性、市場環境などによって大きく異なります。一般的な目安としては、製造業全体で7~10倍程度とされることがあります。しかし、中小企業の場合は、買収資金の回収期間の観点から、より低い3~5倍程度の倍率が目安となることもあります。
より具体的な目安として、以下の表に製造業のサブセクター別のEV/EBITDA倍率の参考値を示します。ただし、これらはあくまで過去のデータに基づく平均的な傾向であり、個別の案件では大きく異なる可能性がある点にご留意ください。
製造業界(メーカー)の価格に影響を与える要因
M&Aの最終的な取引価格は、上記の評価指標を参考にしつつも、様々な要因によって左右されます。主な要因としては、以下のような点が挙げられます。
- 財務状況
企業の収益性(利益率、成長率)、資産内容(健全性、流動性)、負債の状況(有利子負債の額、返済能力)は、当然ながら価格評価の基礎となります。 - 技術力・ノウハウ
特許で保護された独自技術、模倣困難な製造ノウハウ、特殊な加工技術などは、企業の競争力の源泉であり、企業価値を大きく高める要因となります。 - 人材
優秀なエンジニア、経験豊富な熟練工、特定の技術分野に精通した専門家などの存在は、買い手にとって人材獲得や育成にかかるコスト・時間を削減できるため、高く評価される傾向にあります。 - 顧客基盤・販路
大手企業との安定的かつ長期的な取引関係や、独自の販売チャネル、高いブランド認知度などは、将来の収益安定性に繋がり、価値を高めます。 - IT・DX化の状況
生産管理システムの導入状況、工場のIoT化、データ活用の度合いなど、IT技術を活用して生産性や効率性を高めている企業は、近年、その価値が高く評価される傾向にあります。 - シナジー効果
買い手企業と売り手企業が統合することで期待される相乗効果(コスト削減効果、クロスセルによる売上増加、技術開発力の向上など)の大きさも、買い手の支払意欲、ひいては価格交渉に影響を与えます。 - 市場環境・成長性
対象企業が属する市場全体の成長性や将来性、競合環境なども、企業の将来価値を判断する上で考慮されます。
製造業のM&Aにおいては、工場や設備といった有形資産だけでなく、これら技術力、人材、IT活用といった無形の資産や、将来期待されるシナジー効果が、最終的な価格を決定する上で非常に重要な要素となるのです。売り手としてはこれらの価値を的確にアピールし、買い手としてはその価値を正しく評価し、統合後の実現可能性を見極めることが求められます。
製造業界(メーカー)のM&Aメリット
M&Aは、実行する企業(買い手・売り手双方)に様々な恩恵をもたらす可能性があります。製造業のM&Aにおいて、買い手側と売り手側それぞれが享受できる主なメリットを整理して解説します。
買い手のメリット
M&Aを通じて企業や事業を買収する買い手側には、以下のようなメリットが期待できます。
- 時間短縮と迅速な事業展開
新たな事業をゼロから立ち上げるには、市場調査、技術開発、人材育成、設備投資、販路開拓など、多くの時間と労力、そして資金が必要です。M&Aを活用すれば、既に事業基盤が確立されている企業や事業を取得できるため、これらのプロセスを大幅に短縮し、迅速に事業を開始・拡大することが可能になります。これは「時間を買う」というM&Aの最も本質的なメリットの一つです。 - 事業規模の拡大と競争力強化
M&Aによって、買収対象企業の生産設備、工場、販売網、顧客基盤などを獲得することで、自社の生産能力を増強し、市場シェアを拡大し、新たな地域へ進出することが可能になります。規模の経済性を追求することでコスト競争力を高めたり、業界内での交渉力を強化したりすることも期待できます。 - 技術・ノウハウ・人材の獲得
自社に不足している特定の技術、特許、製造ノウハウ、あるいは経験豊富なエンジニアや熟練工といった専門人材を獲得することができます。これにより、製品開発力の向上、品質改善、新製品・サービスの開発期間短縮などが実現し、競争優位性を築くことができます。特に、育成に時間がかかる専門人材を確保できる点は大きなメリットです。 - シナジー効果の創出
複数の企業が一つになることで、それぞれが単独で活動していた場合以上の成果を生み出す「シナジー効果」が期待できます。具体的には、共同での原材料調達によるコスト削減、生産ラインの最適化による効率向上、互いの販路を活用したクロスセルによる売上増加、技術の融合によるイノベーション創出などが考えられます。 - サプライチェーンの強化・内製化
部品の安定供給確保やコスト削減、品質管理体制の強化などを目的に、重要なサプライヤーを買収したり、これまで外部に委託したりしていた製造工程を自社グループ内に取り込む(内製化)ことが可能になります。これにより、サプライチェーン全体のリスク低減と効率化を図ることができます。
売り手のメリット
M&Aによって自社の株式や事業を売却する売り手側にも、多くのメリットが存在します。
- 後継者問題の解決と事業承継
経営者の高齢化が進む中で、親族や社内に適任の後継者が見つからない場合、M&Aは事業を次世代に引き継ぐための有力な選択肢となります。これにより、経営者が築き上げてきた会社や事業を消滅させることなく、存続させることが可能になります。 - 従業員の雇用維持と取引先との関係維持
廃業を選択した場合、従業員は職を失い、長年の取引先や顧客との関係も途絶えてしまいます。M&Aによって事業が継続されれば、多くの場合、従業員の雇用は維持され(M&Aの契約条件とされることが一般的)、取引先との関係も継続されるため、関係者への影響を最小限に抑えることができます。これは、地域社会における雇用の維持や経済活動の継続にも貢献します。 - 創業者利益の獲得(譲渡対価の獲得)
経営者は、保有する株式や事業を売却することで、その対価として現金を得ることができます。この資金は、経営者の引退後の生活資金、新たな事業への挑戦資金、あるいは他の投資などに活用できます。また、廃業に伴う設備の処分費用や清算手続きにかかるコストも不要となるため、経済的なメリットは大きいと言えます。 - 大手企業の傘下での成長
大手企業のグループに入ることで、譲渡企業は単独では得られなかった経営資源を活用できる可能性があります。具体的には、豊富な資金力を背景とした設備投資や研究開発の促進、ブランド力の向上、広範な販売ネットワークの活用、高度な経営管理ノウハウの導入などが期待でき、事業の安定化と更なる成長を実現できる可能性があります。 - 経営者保証の解除
中小企業の経営者の多くは、会社の借入金に対して個人として連帯保証を行っています。M&Aによって会社が大手企業の傘下に入るなどの場合、この個人保証を解除できる可能性があります。これにより、経営者は個人的な財務リスクから解放されます。 - 主力事業への集中
複数の事業を展開している企業が、収益性の低い事業や本業との関連性が薄いノンコア事業を売却することで、経営資源(人材、資金、時間)を自社の強みである主力事業に集中させ、その競争力をさらに高めることが可能になります。
製造業界(メーカー)のM&Aの流れ
M&Aは複雑なプロセスを経て成立に至ります。ここでは、日本国内における一般的なM&Aの基本的な流れを、準備段階から取引完了後の統合プロセスまで順を追って解説します。製造業特有の留意点も補足します。
フェーズ1:検討・準備段階
M&Aの成否は、この初期段階の準備にかかっていると言っても過言ではありません。
- M&A戦略・目的の明確化
まず最も重要なのは、「なぜM&Aを行うのか」「M&Aを通じて何を実現したいのか」という目的を具体的に定めることです。売り手であれば事業承継、創業者利益の獲得、事業の選択と集中など、買い手であれば事業拡大、新規市場参入、技術獲得などが考えられます。目的が明確であればあるほど、その後のプロセスにおける判断基準が明確になり、交渉もスムーズに進みます。 - 専門家(M&A仲介会社・FA)の選定と契約
M&Aには、法務、財務、税務など高度な専門知識が必要です。また、適切な相手先を見つけるためにも、幅広いネットワークを持つ専門家の協力が不可欠です。信頼できるM&A仲介会社やファイナンシャル・アドバイザー(FA)を選定し、秘密保持契約や業務委託契約(アドバイザリー契約)を締結します。 - 自社分析・企業価値の初期評価
売り手は、自社の強み・弱み、財務状況、保有技術、市場でのポジションなどを客観的に分析し、M&Aにおけるアピールポイントや潜在的なリスクを洗い出します。同時に、アドバイザーの協力を得て、想定される企業価値(売却価格帯)を把握します。買い手の場合は、買収したい事業内容、地域、企業規模、投資可能な上限額などの買収ニーズを具体化します。
フェーズ2:マッチング・交渉段階
準備が整ったら、具体的な相手探しと交渉に移ります。
- 候補企業の探索・選定(ロングリスト・ショートリスト作成)
アドバイザーが持つネットワークやデータベースを活用したり、自社の業界知識や取引関係などを基にしたりすることで、M&Aの候補となり得る企業をリストアップします(ロングリスト)。その後、戦略的な適合性や実現可能性などを考慮して、交渉対象となる候補を数社に絞り込みます(ショートリスト)。 - ノンネームシートでの打診
売り手企業の社名を伏せた匿名の企業概要書(ノンネームシート)を作成し、買い手候補企業に提示して、関心の有無を探ります。これにより、初期段階での情報漏洩リスクを抑えつつ、効率的に候補を絞り込むことができます。 - 秘密保持契約(NDA)の締結
買い手候補が関心を示した場合、より詳細な情報を開示する前に、秘密保持契約(NDA:Non-Disclosure Agreement)を締結します。これにより、開示される企業情報が外部に漏洩することを法的に防止します。 - 詳細情報の開示と検討
NDA締結後、売り手企業は、財務情報や事業内容などを詳細に記載した企業概要書(IM:Information Memorandum)を買い手候補に開示します。買い手はIMを基に、M&Aの実現可能性や条件について詳細な検討を行います。 - トップ面談
売り手と買い手の経営責任者同士が直接面談し、経営理念、事業戦略、企業文化、M&Aに対する考え方などを共有します。相互理解を深め、信頼関係を構築することは、その後の交渉を円滑に進める上で非常に重要です。 - 条件交渉と意向表明書(LOI)の提出
買い手候補は、買収の意思と希望する条件(買収価格帯、 M&Aスキーム、主要な前提条件など)を記載した意向表明書(LOI:Letter of Intent)を売り手に提出します。これを基に、基本的な条件についての交渉が行われます。複数の買い手候補がいる場合は、入札形式でLOIの提出を求めることもあります。 - 基本合意契約(MOU/LOA)の締結
主要な条件について当事者間で大筋の合意に至った場合、基本合意書(MOU:Memorandum of Understanding または LOA:Letter of Agreement)を締結します。基本合意書には、これまでの交渉で合意した事項、今後のスケジュール、デューデリジェンス(買収監査)への協力義務、そして通常は買い手に対する独占交渉権などが盛り込まれます。ただし、買収価格など主要な条件については、後のデューデリジェンスの結果次第で変更される可能性があるため、法的拘束力を持たない(あるいは限定的な)条項が多く含まれます。
フェーズ3:デューデリジェンス(DD)と最終契約段階
基本合意後、買い手は売り手企業に対する詳細な調査(デューデリジェンス)を行い、その結果を踏まえて最終的な契約条件を詰めていきます。
- デューデリジェンス(買収監査)の実施
買い手は、公認会計士、弁護士、税理士などの外部専門家を起用し、売り手企業の詳細な調査(デューデリジェンス、DD)を実施します。調査範囲は多岐にわたり、財務、税務、法務、人事労務、事業内容、ITシステムなどが対象となります。製造業においては、工場設備の状態、在庫や仕掛品の評価、そして特に環境汚染リスク(土壌汚染、アスベスト、PCBなど)に関する調査(環境デューデリジェンス)が極めて重要となります。DDの目的は、売り手から開示された情報の正確性を検証し、 M&A実行に伴うリスク(簿外債務、訴訟リスク、環境汚染による将来的な費用負担など)を洗い出し、企業価値をより精緻に評価することにあります。 - 最終条件交渉
DDで判明したリスクや問題点を踏まえ、基本合意で合意した買収価格やその他の契約条件について、最終的な交渉を行います。DDの結果、重大な問題が発見された場合には、価格の大幅な減額や、最悪の場合は取引の中止に至ることもあります。表明保証(売り手が買い手に対して、開示した情報が真実かつ正確であることなどを保証する条項)の内容なども、この段階で詳細に詰められます。 - 最終契約書(DA)の締結
すべての条件について最終的な合意が得られれば、法的拘束力を持つ最終契約書(DA:Definitive Agreement)を締結します。M&Aのスキームに応じて、株式譲渡契約書、事業譲渡契約書、合併契約書などが作成されます。この契約書には、取引の対象、譲渡価格、支払方法、クロージングの前提条件、表明保証、解除条項などが詳細に規定されます。一度締結すると、原則として一方的な内容変更や破棄はできないため、細部まで慎重に確認する必要があります。
フェーズ4:クロージングとPMI
最終契約の締結後、取引を完了させるための手続き(クロージング)と、M&A後の統合プロセス(PMI)に進みます。
- クロージングの実行
最終契約書に定められたクロージングの前提条件(例えば、必要な許認可の取得、株主総会での承認決議、重要な取引先からの同意取得など)がすべて満たされたことを確認した上で、取引を実行します。具体的には、買い手から売り手への譲渡対価の支払いと、売り手から買い手への株式や事業資産の移転手続き(株券の交付、不動産や動産の所有権移転登記、債権債務の移転、従業員の転籍手続き、契約関係の承継や再締結など)が行われます。これらの手続きがすべて完了した日(クロージング日)をもって、M&Aの取引自体は法的に完了し、経営権が買い手に移転します。 - PMI(Post Merger IntegratioPost Merger Integration)
M&Aの成否を最終的に決定づける、最も重要なプロセスです。クロージングはあくまで法的な取引の完了であり、M&Aによって期待されるシナジー効果を実現し、企業価値を向上させるためには、その後の統合プロセス(PMI:Post Merger Integration)が不可欠です。PMIでは、経営戦略・ビジョンの共有、組織体制の再編、役員・従業員の処遇決定、業務プロセスの標準化、会計基準やITシステムの統合、そして企業文化の融合など、多岐にわたる統合作業を進めていきます。PMIを計画的かつ丁寧に進めることが、M&A後の混乱を最小限に抑え、早期にシナジーを発現させるための鍵となります。
製造業界(メーカー)のM&Aにおける注意点
M&Aは大きなメリットをもたらす可能性がある一方、様々なリスクも伴います。製造業のM&Aにおいては、以下のような特有の点に注意が必要です。
環境リスク(環境デューデリジェンスの重要性)
製造業、特に工場を保有する企業のM&Aにおいて、環境問題は極めて重大なリスクとなり得ます。工場敷地における過去の操業に起因する土壌汚染や地下水汚染、建材に含まれるアスベスト、古い設備に残存するPCB(ポリ塩化ビフェニル)廃棄物、排水処理の不備などが、M&A後に発覚するケースがあります。これらの問題は、浄化や対策に莫大な費用がかかるだけでなく、近隣住民からの訴訟リスク、法令違反による操業停止命令、企業の社会的信用の失墜などに繋がる可能性があります。したがって、製造業のM&Aにおいては、専門家による環境デューデリジェンスの実施が不可欠です。土地の利用履歴や過去の事故歴などを詳細に調査することも重要です。
設備・在庫の評価と管理
製造業は、多額の設備投資を必要とすることが多く、M&Aにおいてはこれらの有形資産の評価が重要になります。老朽化した設備の評価、特殊な仕様の機械装置の価値判断、あるいは陳腐化した在庫や長期間滞留している仕掛品の評価など、特有の難しさがあります。特に、原価計算の方法(標準原価か実際原価か、原価差異の処理など)が企業によって異なる場合があり、在庫や仕掛品の価値を正確に把握するためには、デューデリジェンスにおいて詳細な確認が必要です。
サプライチェーンの複雑性
製造業は、原材料の調達から、加工、組立、製品の出荷、販売に至るまで、多くの企業が関わる複雑なサプライチェーンの中に位置しています。M&Aによって企業が変わることで、既存のサプライヤーや顧客との取引条件が変更されたり、特定の取引先への依存度が高いことがリスクとなったりする可能性があります。デューデリジェンスにおいては、サプライチェーン全体像を把握し、M&Aが与える影響を慎重に評価する必要があります。
許認可・規制
製造業には、事業を行う上で必要な許認可や届け出が多数存在します。M&Aのスキームによっては、これらの許認可がスムーズに承継できるか、あるいは新たに取得し直す必要があるかを確認することが重要です。特定の業種(化学、食品、医薬品など)においては、特有の法規制が存在する場合もあり、法務デューデリジェンスにおいて専門的な知見が必要となります。
製造業のM&Aでは、工場、設備、土地といった物理的な資産と、それに付随する潜在的なリスク(特に環境リスクや老朽化)の評価が、他の業種以上に重要となります。買い手は、これらのリスクを評価するために十分な時間と専門的なリソースを投入する必要があり、売り手は、可能であれば事前にこれらの問題を把握し、対策を講じておくことが望ましいでしょう。
リスクを軽減する方法
これらのリスクを完全に排除することは困難ですが、適切な対策を講じることで、その影響を最小限に抑えることは可能です。
- 明確な目的設定と戦略
M&Aの目的を具体的に定め、その目的に合致した相手先を慎重に選定することが、失敗を防ぐ第一歩です。 - 徹底したデューデリジェンス
財務・法務・税務・事業・人事・IT、そして製造業では特に環境など、多角的なデューデリジェンスを、経験豊富な専門家を活用して徹底的に実施することが不可欠です。 - 慎重なPMI計画と実行
M&Aの交渉段階からPMI計画の策定に着手し、クロージング後は計画に基づき、関係者の理解と協力を得ながら、迅速かつ丁寧に進めることが重要です。 - 専門家の活用
M&Aは高度な専門知識と経験を要します。M&A仲介会社、FA、弁護士、公認会計士、税理士、各種デューデリジェンスの専門家など、信頼できる外部アドバイザーのサポートを得ることが成功の鍵となります。 - 誠実な交渉とコミュニケーション
相手方との信頼関係を構築し、オープンかつ誠実な姿勢で交渉に臨むことが重要です。また、M&Aの実施に伴う従業員や取引先への影響を考慮し、適切なタイミングで丁寧な説明を行い、不安を取り除く努力が必要です。 - 適切な情報管理
M&Aに関する情報は機密性が高く、その取り扱いには細心の注意が必要です。情報漏洩を防ぐための厳格な管理体制を構築し、遵守することが求められます。
製造業界(メーカー)のM&A事例
これまで解説してきた動向、メリット、注意点をより具体的に理解するために、実際の製造業におけるM&A事例をいくつかご紹介します。
事例1:【成長戦略・技術獲得型】ニデック(旧:日本電産)によるOKK(現:ニデックオーケーケー)の子会社化
概要:精密小型モーターで世界的なシェアを持つニデック株式会社(旧:日本電産)が、マシニングセンタなどを手掛ける工作機械メーカーのOKK株式会社(現:ニデックオーケーケー)に対し、2021年に資本業務提携を行い、段階的に出資比率を高め、2023年には株式交換により完全子会社化しました。
目的:ニデックは、モーター事業に次ぐ成長の柱として工作機械事業の強化を掲げており、OKKの子会社化はその戦略の一環です。OKKが持つ工作機械に関する技術力、ブランド、顧客基盤を獲得し、自社の持つモーター技術やグローバルな販売網と組み合わせることで、工作機械市場での事業拡大を目指しました。これは、「時間を買う」という考えに基づき、赤字企業であっても技術力があれば買収し、独自の経営手法で立て直すというニデックの積極的なM&A戦略を象徴する事例の一つです。
ポイント:大手企業がM&Aを通じて新たな事業領域へ本格的に参入し、製品ポートフォリオを戦略的に拡充していく典型的な事例と言えます。また、買収後の経営統合(PMI)において、ニデックがどのようにOKKの経営再建を進め、シナジーを創出していくのか、その手腕も注目されます。
事例2:【技術獲得・グローバル展開型】オリンパスによるQuest Photonic Devices B.V.の子会社化
概要:内視鏡などの医療機器で高い技術力を持つオリンパス株式会社が、手術時に特定の組織を光らせて視認性を高める蛍光イメージング技術に強みを持つオランダのQuest Photonic Devices B.V.社を、2021年に約46億円(買収後の業績に応じた追加支払いを含む最大約64億円)で買収し、完全子会社化しました。
目的:オリンパスが強みとする外科手術用の内視鏡システムと、Quest社が持つ先進的な蛍光ガイド手術向けの技術を組み合わせることで、製品ラインナップを強化し、より低侵襲で安全な手術を実現するための高品質なイメージングソリューションを提供することを目指しました。
ポイント:特定分野で先進的な技術を持つ海外の企業をM&Aによって獲得し、自社のコア技術と融合させることで、技術基盤を強化し、グローバル市場での競争力を高めようとする戦略的なクロスボーダーM&Aの好例です。専門性の高い技術を外部から取り込むことで、開発期間の短縮と市場への早期投入を図る狙いが見て取れます。
事例3:【PMIの課題・教訓型】パナソニックによる三洋電機の買収
概要:日本を代表する電機メーカーであるパナソニック株式会社が、同じく大手電機メーカーであった三洋電機株式会社を、2009年頃から段階的に買収し、最終的に完全子会社化しました。総投資額は8,000億円を超える大規模なM&Aでした。
目的:両社の持つ技術、特に三洋電機が強みとしていた太陽電池やリチウムイオン電池などの環境・エネルギー関連技術と、パナソニックの持つ幅広い事業基盤や販売網を融合させることで、大きなシナジー効果を生み出し、グローバル市場での競争力を強化することが主な目的でした。
結果/課題:しかし、買収後に外部環境が大きく変化しました。円高の進行や、韓国・中国メーカーの台頭によるリチウムイオン電池市場での価格競争激化などにより、三洋電機の事業価値が想定以上に低下しました。その結果、パナソニックは買収時に計上した巨額の「のれん」代について、大幅な減損処理(2012年3月期に約2,500億円)を余儀なくされ、過去最大の赤字を計上する事態となりました。また、期待された技術的なシナジーも十分に発揮されず、むしろ組織文化の違いなどから統合が難航し、人材の流出を招いたとも指摘されています。
ポイント:この事例は、M&Aにおけるシナジー効果の評価の難しさ、買収後の外部環境変化のリスク、そして何よりもPMI(経営統合プロセス)の重要性と困難さを示す教訓として、広く知られています。買収契約の締結はゴールではなく、その後の統合プロセスこそがM&Aの真価を発揮させる上で決定的に重要であることを示唆しています。
製造業界(メーカー)のM&Aは日本の技術を守る重要な戦略のひとつ
この記事では、日本の製造業におけるM&Aの動向、メリット、プロセス、そして注意点について解説してきました。
日本の製造業は、国内市場の成熟、少子高齢化に伴う人手不足や深刻な後継者問題、グローバル競争の激化、そしてDX化への対応といった、複合的かつ構造的な課題に直面しています。このような状況下で、M&Aは、これらの課題を克服し、持続的な成長を実現するための重要な戦略的選択肢として、その重要性を増しています。
M&Aは、単なる企業の売買取引ではなく、企業の将来を左右する極めて重要な経営判断です。この記事で解説した日本の製造業を取り巻く現状、M&Aの動向、メリット、プロセス、そして注意点を踏まえ、自社の状況と目的に合致した戦略的なM&Aの活用を検討することが、これからの時代を勝ち抜くための鍵となるでしょう。
※ 掲載している情報は記事更新時点のものです。
※本サイトは、法律的またはその他のアドバイスの提供を目的としたものではありません。当社は本サイトの記載内容(テンプレートを含む)の正確性、妥当性の確保に努めておりますが、ご利用にあたっては、個別の事情を適宜専門家にご相談いただくなど、ご自身の判断でご利用ください。
関連記事
経営統合とは?合併との違いやメリット・デメリット、事例を解説!
企業が成長し、競争力を高めるための戦略として、「経営統合」という言葉を耳にする機会が増えたのではないでしょうか。しかし、経営統合とは具体的にどのようなものなのか、合併とはどう違うのか、メリットやデメリットは何なのか、詳しく知っている方は意外…
詳しくみる飲食店のM&A動向は?メリット・デメリットや注意点を解説
飲食店の経営を取り巻く環境は、常に変化しています。特に近年、後継者不足や人手不足、原材料費の高騰、そして消費者のライフスタイルの変化など、多くの課題が顕在化しています。そんな中、解決策の一つとして、また新たな成長戦略としてM&Aが飲…
詳しくみるM&A仲介会社とは?選び方や業務内容、費用などを解説
近年、事業承継問題の深刻化や、成長戦略の一環としてM&A(企業の合併・買収)を選択する企業が増えています。それに伴い、M&Aを円滑に進めるための専門家である「M&A仲介会社」の存在感が高まっています。 この記事では、…
詳しくみるクリニックにおけるM&Aとは?手続きや流れ、メリット・デメリットを解説
この記事では、クリニックのM&Aについて、その流れや医療業界における注意点、メリットや事例などを解説します。 クリニックにおけるM&Aとは? M&Aは、一般的に複数の会社が一つに合併したり、ある会社が他の会社の事業や…
詳しくみる歯科業界のM&A動向は?メリットや事例、流れを解説
近年、歯科業界のM&Aという選択肢が注目を集めています。M&Aと聞くと、大きな企業同士の話のように感じるかもしれませんが、実は歯科医院のような地域に根差した医療機関にとっても、未来を切り開く有効な手段となり得るのです。 この…
詳しくみる運送業のM&A動向は?メリットや成功のポイント、事例などを解説
私たちの生活や経済活動に欠かせない運送業ですが、今、大きな変革期を迎えています。ドライバー不足や「2024年問題」と呼ばれる労働時間規制の強化、燃料費の高騰、そしてDX(デジタルトランスフォーメーション)への対応など、多くの課題が山積してい…
詳しくみる