- 作成日 : 2025年10月6日
全部譲渡とは?特徴と手続きの流れを解説
後継者問題を抱える企業が活用できるM&A手法のひとつに、事業の「全部譲渡」があります。
しかし内容をよく理解しないまま進めてしまうと、事業をうまく存続できず、望まない結果を招きかねません。
本記事では、全部譲渡の概要や他の手法との違い、手続きの流れ、メリットや注意点を解説し、実行にあたっての疑問を解消します。
目次
全部譲渡とは
M&Aにおける「全部譲渡」とは、企業が保有するすべての事業を他社へ譲り渡し、対価として金銭を受け取る事業譲渡のスキームです。
事業および関連する資産や負債は、譲渡の対象にするかどうかを個別に決められる「個別承継」の対象となります。そのため事業譲渡には、全部譲渡と一部譲渡の2種類の手法があります。
全部譲渡をする場合、譲渡企業は全事業を手放しますが、法人格は消失しません。経営権も変わらないため、企業名も引き継いだ上で、新たに別の事業を始められます。
事業の全部譲渡と他のM&A手法との違い
同じ事業譲渡であっても、全部譲渡と一部譲渡では内容が異なります。また、事業譲渡以外にもM&Aにはさまざまな手法があります。
全部譲渡と一部譲渡の違い、その他のM&Aスキームである株式譲渡・吸収合併・会社分割との違いをそれぞれ確認しましょう。
全部譲渡と一部譲渡の違い
全部譲渡と一部譲渡の違いは、譲渡する範囲です。事業をすべてではなく一部に限って譲り渡す手法を「一部譲渡」といいます。
全部譲渡と一部譲渡のどちらを選ぶべきかは、目的に応じて変わります。
たとえば、主力事業に注力したいけれど他の事業にリソースを取られているという場合、適しているのは一部譲渡です。売却資金を残った主要事業にあて、経営を効率化できます。なお、一部譲渡は全部譲渡に比べ買い手を見つけやすいという特徴があります。
一方で全部譲渡の主なメリットは、法人格を保ったまま譲渡による売却資金を得られることです。これにより、自社で後継者が不在であっても事業を継続でき、雇用や顧客との関係を維持できます。ただし、個々の契約については改めて締結し直す必要があります。
全部譲渡と株式譲渡の違い
全部譲渡と株式譲渡の大きな違いは、経営権が譲渡されるか否かという点にあります。
株式譲渡は、会社の株式を他社へ譲渡するM&Aのスキームです。株式の譲渡に伴い、経営権も譲受企業へとうつります。一方、全部譲渡を含めた事業譲渡では、経営権は移動しません。
また、株式譲渡と事業譲渡では、株式譲渡のほうが比較的手続きが簡単です。
比較項目 | 全部譲渡 | 株式譲渡 |
---|---|---|
譲渡企業の法人格 | 残る | 残る |
経営権 | うつらない | うつる |
権利義務 | 引継ぎの対象とするか個別に選べる | すべて引き継ぐ |
課税 | 消費税がかかる | 不課税取引となる |
全部譲渡と吸収合併の違い
全部譲渡と吸収合併の大きな違いは、譲渡企業の法人格が存続するか否かという点です。
吸収合併では、複数の企業同士が合流してひとつに統合されます。このとき、他社の権利義務を丸ごと承継する譲受企業のみが法人格を残し、残りの譲渡企業は消滅します。
比較項目 | 全部譲渡 | 吸収合併 |
---|---|---|
譲渡企業の法人格 | 残る | 消失する |
経営権 | うつらない | 消失する |
権利義務 | 引継ぎの対象とするか個別に選べる | すべて引き継ぐ |
課税 | 消費税がかかる | 不課税取引となる |
全部譲渡と会社分割の違い
会社分割も全部譲渡と同じく、事業を他社に承継させる行為です。ただし、会社法上の扱いは異なっています。
会社分割とは企業が保有する事業の権利義務のすべて、もしくは一部を自社から切り離して他社に包括的に継承させる手法です。会社法では、組織再編行為と判断されます。
包括承継とは、事業に不随する契約や許認可もまとめて引き継ぐことです。全部譲渡はあくまでも事業の売買のみを指すため、包括承継にあたりません。
比較項目 | 全部譲渡 | 会社分割 |
---|---|---|
譲渡企業の法人格 | 残る | 残る |
経営権 | うつらない | うつらない |
権利義務 | 引継ぎの対象とするか個別に選べる | すべて引き継ぐ |
課税 | 消費税がかかる | 不課税取引となる |
事業の流れをステップで解説
事業譲渡が完了するまでには、いくつか踏むべき手順があります。ここからは、事業の譲渡を検討する企業が、どのような流れで事業譲渡を遂行していくのかを解説します。
①譲渡の目的、条件の明確化
事業譲渡が最適な選択肢なのか、まずは目的と条件を明確化して照らし合わせましょう。M&A戦略は基本的に事業や株式を譲受する買い手企業が立てる方針とされているものの、売り手企業にも戦略的思考が求められます。
目的に応じて事業譲渡にするのかほかの手法にするのか、事業譲渡であれば譲渡範囲を全部とするか一部とするかを選択します。
大まかな方針が確定したら、下記の点を中心に細かく条件を設定していきましょう。
- 譲渡額はいくらを希望するのか
- いつ頃のタイミングで譲渡するのか
- 譲渡後の役員および従業員の処遇はどうなるのか
- 商品やブランドはどのように引き継がれるのか
②買い手企業を探して交渉
策定した戦略に応じて条件にあう買い手企業を探すのが、次のステップです。
M&Aのマッチングプラットフォームや仲介業者を活用するのもよいでしょう。国が運営する事業承継・引継ぎ支援センターでも、中小企業の事業譲渡に関する相談ができます。
基本合意を交わすまでの交渉は、次のように進みます。
- 買い手候補の企業とマッチング
- 秘密保持契約を締結
- トップ面談
トップ面談とは、事業譲渡を具体的に進めるかどうかを判断するため、売り手と買い手それぞれの経営者が集まって行う商談です。双方の目的や条件、疑問点を確認するとともに、価値観や企業文化といったソフト面のすり合わせも行います。
③MOU(基本合意契約書)の取り交わし
トップ面談でおおよその条件の合意がとれたら、基本合意を結びます。
なお、トップ面談後に買い手企業から「意向表明書」が提示される場合もあります。意向表明書とは、買い手が求める事業譲受の内容や条件が記載されるものです。
基本合意のため譲渡企業と譲受企業の間で取り交わされる書類は、「MOU(Memorandum of Understanding)」といいます。日本語では「基本合意契約書」や「了解覚書」とも呼ばれます。
下記は、MOUに記載される主な内容の例です。
- 譲渡の対象範囲
- 目安の価格
- 今後のスケジュール
- 独占交渉権
- 守秘義務
なお、基本合意の段階での契約内容は最終的なものではありません。以降のやり取りを経て条件が変更される場合もあります。
④デューデリジェンスの実施
基本合意契約がなされたあとは、譲受企業によるデューデリジェンスが実施されます。
デューデリジェンスとは、買い手から売り手に対して行われる精密監査です。財務・税務・法務・労務・IT・事業など、分野ごとの細かい調査が行われ、承継する事業の価値やリスクが精査されます。
譲渡企業は調査に対して資料や情報の提供が必要です。都度対応できるように準備をしておきます。
⑤事業譲渡契約の締結
デューデリジェンスを経て譲渡に問題がないと判断されれば、最終的な条件交渉にうつります。ここでまとまった合意内容をもとに、「事業譲渡契約書」を取り交わします。
事業譲渡契約書は、事業譲渡に関する契約内容を詳細に記載する書類です。主に下記の事項が含まれます。
- 事業譲渡の効力発生日=譲渡日
- 譲渡対象の資産
- 譲渡対象の負債
- 引き渡し時期
- 最終確定した譲渡金額
- 従業員の処遇
- 競業避止義務への同意
⑥株主総会、取締役会での承認取得
全部譲渡の場合は、譲渡が執行される前日までに株主総会の特別決議が必要です。
株主に対する、事業譲渡の内容と株主総会の開催についての告知は、契約書で定めた譲渡完了の20日前までに行います。なお反対株主には株式買取請求権があるため、併せて周知をします。
特別決議には議決権の過半数以上をもつ株主の出席と、そのうち3分の2以上の賛成票が必要です。
なお、全部譲渡は会社法における「重要な財産の処分」にあたるため、取締役会の承認も得ておかなくてはいけません。取締役会に対しては、事業譲渡を決断次第すみやかに告知します。決議には取締役員の過半数以上の承認を要します。
⑦事業の引継ぎと代金授受
事業譲渡の最終段階で行われるのは、譲渡対象となる資産や負債の移転手続きです。契約書に基づいた設備や在庫、知的財産権の名義変更、さらには債務の承継に関する実務処理などが含まれます。
併せて、買い手からは譲渡代金が支払われ、事業譲渡の手続きが完了します。
引継ぎと代金授受は、売り手と買い手の双方にとって大きな節目となり、合意内容が確実に履行される重要なプロセスです。
全部譲渡を選択したほうがよいケース
事業譲渡のメリットは、譲渡による売却益を得つつ、法人として存続できる点です。とくに全部譲渡の場合、個別に資産を切り売りするよりも高い売却益を得られる可能性があります。
上記から、全部譲渡はグループ再編や営業不振にある企業の再生目的として選択されるケースが多いです。廃業の危機にある企業は、新たに始めた事業が好調であれば、企業として存続できる可能性が高まります。
全部譲渡を実施する際の注意点
全部譲渡の実施にあたっては、下記のような注意点があります。
- 株主総会での決議が必要である
- 手続きが複雑になる可能性がある
- 一定期間、事業内容に制限が生じる
株主総会での決議が必要
全部譲渡は、経営者のみの判断で進められません。必ず、株主総会での決議によって実施されます。
この場合、少数株主が強く反対していたり、株主構成が複雑な場合は合意形成が困難となり得ます。難航するのを防ぐためには、スムーズな合意形成のための対策が必要です。
具体的には事前に株主へ向けて説明会を実施する、反対株主による株式買取請求権への対応を見込んだ資金計画を立てるなどが考えられます。
手続きが複雑になる可能性
全部譲渡の場合、譲渡対象が広範囲に及ぶことから、手続きが複雑になる可能性があります。
資産や負債の移転だけでなく、従業員との雇用契約も個別交渉しなくてはいけません。また、業種によっては契約顧客との個別交渉や、許認可の承継に関する手続きも必要となる場合があります。
個別の交渉や手続きの機会が増えると、スケジュールや実務に負担がかかる点に留意が必要です。
一定期間、事業内容に制限が生じる
事業譲渡の完了後、譲渡企業はその後20年にわたり、同一市区町村で同じ事業を行わないという制約が課されます。競業避止義務と呼ばれるものです。
全部譲渡のあとに企業として存続するためには、従来とは異なる事業を新たにはじめなくてはいけません。将来的な経営計画が重要です。
事業の全部譲渡に関するよくあるQ&A
担当者として全部譲渡を進めていくうちに、複数の疑問を抱く方は多いでしょう。
こうした疑問や相談に応対してくれることからも、M&A仲介業者などの専門家への相談はおすすめです。
ここでは、事業の全部譲渡を検討する実務担当者が抱きやすいいくつかの疑問について、回答していきます。
事業を全部譲渡した場合、従業員の処遇はどうすればいい?
事業譲渡では、従業員の労働契約は自動的に引き継がれるわけではありません。ただし、一般的には引き継がれるケースが多いです。
従業員に対しては、買い手側への雇用移転について、個別の合意形成が必要となります。
事業の根抵当権は、譲渡後どうなる?
根抵当権とは、特定の債券に限定せず、将来生じる可能性のある債券も含め、限度額の範囲で担保する抵当権です。
事業譲渡をするにあたり、該当の事業に関連する不動産等が根抵当権の対象となっている場合、根抵当権の抹消手続きが必要となります。
根抵当権抹消登記は一般的に申請後1週間から10日ほどかかるため、スケジュールに注意しましょう。
無償での事業譲渡は可能?
無償で事業譲渡をすることも可能です。親族間でのやり取りの場合、無償譲渡となるケースもあります。
無償譲渡の場合、対価がないため、売り手には通常かかる消費税が課せられません。ただし、譲渡を受けた側に贈与税が発生する場合があります。
全部譲渡は事業存続を叶える選択肢
法人格を保ちながら事業を存続させたい場合、全部譲渡は有効な手段といえます。
しかし、もし複数ある事業が好調のものとそうでないものにわかれる場合は、一部譲渡のほうが経営の効率化には適します。
さまざまなM&A手法があるため、各特徴を理解した上で自社にとって最適な戦略を立てることが重要です。
※ 掲載している情報は記事更新時点のものです。
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