一人経理担当者の退職後にわかった入金消込の惨状
しばらく顔を見せていなかった人が来店すると嬉しいものです。今日も「久しぶり」のお客様が来店しました。
「いらっしゃいませ。社長、今日は新しいお客様もお連れですね」
「マスター久しぶり。紹介するね。こちら、今度うちの会社に入ってくれた経理担当のCさん」
「初めまして。よろしくお願いします」
「どうぞおかけください」
常連だったA社長が経理Barに顔を見せたのは1年ぶりのことだった。
「マスター、ご無沙汰して申し訳なかったね。最近ちょっといろいろと忙しかったものだから」
「いえ。でも良かったですね。これで経理もBさんとこちらのCさんのお二人でダブルチェック体制になりますから」
そう言われた社長はバツの悪そうな顔をした。
「マスター、実はBさんは退職してしまって、それでCさんに入社してもらったんだよ」
「え、あのBさんがですか」
Bさんは以前、社長と一緒によく経理Barに来てくれていたが、最近は社長と同じくまったく顔を見ていなかった。
「そう。1年前くらいから体調不良で会社を休むようになって、結局良くならなくて3カ月前に退職して。それで急遽求人募集をしてCさんに入ってもらったんだ」
「そうだったんですね。BさんはBarに来ても、社内体制をきちんとしたいんだ、と私にもよく話してくださって。責任感が強くて真面目な方だったのに残念ですね」
「それがそうでもなかったんだよ。ねえCさん」
社長の同意を求める声には反応せず、Cさんは話し出した。
「Bさんの人柄のことは存じ上げないのですが、そういう経緯だったものですから私が入社した時には前任者のBさんはもういらっしゃらなくて。幸い、作業マニュアルなどはありましたので通常の業務やデータファイルの保管場所などもすぐわかったんですが、債権管理に関しては、ある時期からまったく対応できていない状態になっていまして」
「対応できていないというのは、たとえば、とりあえず売掛金は消えているけれど、どの会社の売掛金なのかをチェックしないまま消込していたとか…」
「ええ、まさにその通りです。ある時期から入金時に売掛金の勘定科目で消込はしているんですけど、会社ごとに付番している補助コードで消込をするのをやめてしまっていたんです。試算表上は問題ないんですけど、補助簿を出すと売掛残がまったく消えていない状態でどれが本当に滞留債権なのかわからない状態で。まずそれを1件ずつさかのぼって消込をして精査するのが大変でした」
社長の思い違い
そこまでCさんが話すとたたみかけるように改めてA社長が言った。
「マスター、人は見かけによらないよねえ。あのBさんがそんな適当に経理処理をしていたなんて。その対応に追われて大変だったんですよ」
「それでこちらにもなかなかおいでにならなかったんですね。でも社長、そういうことではないんですよ」
「え?何が?」
「Bさんは、社長が今思っているような『真面目に見えたけど適当な処理をしていた人』ではないということですよ」
「でも、現にいい加減に処理していたわけでしょう」
「それはBさんが在籍していた何年間ずっといい加減な処理をしていたならそうですが、おそらく会社を休みがちになり始めた1年前か、その少し前くらいからでしょう?Cさん」
「おっしゃる通りです。2年前まではきちんと消込していたのに、1年半くらい前から少しずつ帳簿が乱れているものが増え始めていました」
「ですよね。社長、私何回も言いましたよね。Bさんは責任感が強いから『私一人でも事務はなんとか回せる』と言い張っているけれど、社長の企業規模では一人経理は無理だから早く新しい経理を入れてダブルチェック体制にしないとBさん、きっとメンタルをやられますよ、って」
「うん…」
社長はさらにバツの悪そうな顔をした。
「経理っていうのは、メンタルがやられると頭がまわらなくなるんですよ。単純に消込だけすればいい処理ですら、昨日までまったく問題なくできていたのに、どうやってやればいいんだっけ、って突然頭が真っ白になることもあるし、頭ではわかっているんだけど手がまったく動かなくなることがあるんですよ。そんなこと、周囲の誰にも恥ずかしくて言えないんですよ。だから一人経理体制はやめてくださいってこのBarに来ている社長さん達にはいつも言っているんですよ。二人体制以上ならそうした『異変』に、もう一人の担当者がすぐ気づけますから。Bさんは焦って、とりあえず補助簿は後回しにして残高だけは合わせないと、と自分で自分をごまかし続けていたんだと思いますよ。孤独でつらかったと思いますよ。こんな偉そうなことを言って申し訳ありませんが、今回の件は社長の責任だと私は思います…。すみません、お客様に対して失礼なことを言ってしまって」
経理に投資をケチったばかりに資金回収ができずに大損するという本末転倒
社長は真剣な顔つきに戻っていた。
「いや、その通りだから。マスターの言う通りにすればこんなことにならなかったよね。マスターいつも言ってたじゃない。『経理の人件費をケチったばかりに不正や滞留債権の回収不能で大損する本末転倒の会社がよくある』って。まさに今回のそれがうちだよ」
「ということは、売掛金の回収漏れがあるということですか」
「うん、それで今日Cさんを連れてマスターに相談しに来たんだ。ね、Cさん」
「はい、私が社長から経理Barのことを伺って、マスターならご相談に乗っていただける思いまして。私もまだ一人経理の状態ですから」
「ええ、なんなりとどうぞ。あと、売上請求書はまだExcelで作ってるんですか」
「はい。そのことはもう考えていて、私の前職は売上請求書に関してはクラウドのソフトウェアを入れていたので、今後はそれを導入したいと思っています。そうすれば、入金処理の情報を私がそのソフトに反映させることで、現場の担当者の方達も自分の担当した案件が入金されたかどうかが私に問い合わせをしなくても常時確認できます。また、社長の権限設定をオープンにすれば、社長も常時、どの案件が未入金か確認ができるようになりますので。直接うちの社長が先方の社長さんに督促していただいたほうが良いものはそうしていただいたほうが良いですし」
「そうですね。純粋な請求漏れや郵送漏れで未入金といったことではない場合は、業務上のトラブルでお金を払うとか払わないとかということになっているか、もしくは先方の資金繰りの悪化ということが多いですからね。そうすると現場同士で話し合ってもらちがあかないことがあるので、トップ同士で話し合ってもらったほうが早く入金してもらえることも多いですしね。社長、Cさんはこうおっしゃっていますが、いかがですか」
「もちろん今日ここに来る前にOKしたよ」
「よかったです。今、経理社員を二人体制にしてくださいと言っても、本当に世の中が人手不足で、即戦力の経理経験者が簡単には見つからないんですよ。私もしょっちゅう『マスター、知り合いで良い経理の人いない?』と聞かれますから。だからITやAIの力を借りて、一人経理であっても『一人+機械』のダブルチェック体制を最低限でも作って、人間の経理担当者や現場担当者の負担を少しでも減らさないといけない時代ですからね」
税理士が1件1件の入金消込のチェックを無料でできるわけがない理由
すると社長は、あ、と何かを思い出して話し出した。
「でもさあマスター、一人経理体制っていったって、うちの会社も税理士の先生と契約しているんだよ。ここだけの話、税理士の先生は何をやっていたんだろうって思うんだよね。だって税理士なんだから。今回の件で別の先生に変えたほうがいいかなって思っちゃって」
「社長、どの税理士の先生だって、1件1件のクライアントの入金チェックなんて見ていられませんよ」
「えっそうなの?」
「だって考えてみてくださいよ。普通は税理士の先生一人につき数十社は契約先があるわけですから、それを考えたらできるわけないじゃないですか。そもそも社長だって顧問料いくら払ってます?そんな少ない金額で1件1件のチェックなんてできないですよ。もしお願いしたいのなら基本の顧問料とは別に、1件いくらかお金を追加で支払ってやってもらうんですよ。社長だって経営者なんですからそうしないと商売が成り立たないことくらいおわかりでしょう」
「それはそうだね。私は『自分は経営ができているんだからお金のことはすべてわかっている』と思っていたけれど何もわかっていなかったな。だからマスターの言う忠告も『大げさだな』といつも聞き流していたよ」
「ええ。そんなものですよ。ただ、あれだけ一生懸命会社のことを考えていてくれたBさんが、社長から『ろくでもない人間だった』なんて思われたまま忘れ去られたら、同じ経理出身の私としては浮かばれないなと思ったもので、先ほどはつい感情的になってしまいました。二度目はないように、お願いします」
「もちろん。そうならないように、今日Cさんをここに連れてきたんだ。Cさん、これからもどんどん提案してね」
「わかりました。私もなるべく業務を一人で抱え込まないようにします」
それ以降、Cさんはたびたび一人で来店したり、あるいは現場の同僚と一緒に来店したりしてくれるようになった。
経理Barに居合わせた他の客と交流をして、日頃の悩みを共有したりアドバイスをもらったりして息抜きをしてくれているようだ。
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