
<Episode2:クラウド入れても人切るな>
昼間はコンサルタントの仕事をしている私が夜マスターをしている「経理Bar」には昼間の仕事を終えた同業者もよく飲みに来てくれる。
コンサルタントはどれだけ数多くの事例を抱えているかが勝負だから、同業者がここに来て話してくれること、また私が話すこともお互い参考になるのだ。
Cさんもそのコンサルタント仲間の一人である。やれやれ、と独り言を言いながらCさんはカウンターに座った。
ミーハー社長
「マスター、私のクライアントで困った社長がいましてね…」
「どうしたんですか」
「あれだけ『クラウド入れても人切るな』と言っていたのに、事務員を雇い止めして大変なことになってしまって、後処理が大変でしたよ」。
ことの顛末はこうである。
CさんがコンサルティングをしているD社長は、起業したばかりで売上もまだ経たないうちから資金調達をして、会社の規模を大きくしてきた起業家である。そのため社員数は多いが、設立当初から赤字経営が続いている。
D社長はいわゆる「新しいもの好き」で、最新の組織論の本を見つければすぐに読んで実践したり、最新の社員満足度が上がるサービスがあったら誰にも言わずに勝手にトライアルを申し込んだりして、社員達を戸惑わせてしまうそうだ。
そして飽きるのも早く、また新たに興味のあるものが出たらすぐにそちらに乗り換えてしまうので、現場もバックヤードもいつも振り回されているらしい。
新しいダイエット方法が出てきたらすぐ乗り換えてしまう、最新のパワースポットがあったら今まで信じていた神様はそっちのけで、ほいほいと新しい神様を拝みに行ってしまう。そういったことと同じことなのだろう。
ただ、「新しいもの好き」ということ自体はベンチャー企業の社長としては悪くないと思う。
それくらい、ベンチャー企業の社長は好奇心旺盛でないといけないし、会社の組織も、成長するステージに合わせて、組織形態やコミュニケーション方法を随時変えていくのが基本だからである。
「無人化」という言葉に魅かれ…
ある日、D社長から「経理のクラウド導入を手伝ってください」という連絡とともに、あるネット記事がCさんに転送されてきた。そこには「クラウド導入で社員要らず!」というタイトルの記事が掲載されていた。
記事の内容は、さまざまな経理のクラウドを使いこなせば、バックヤードの社員は無人化できるとういうものだった。Cさんは嫌な予感がしてすぐにD社長に連絡をしたがすでに遅かった。
同じ記事を、経理を担当していた社員にも転送してしまい、社員が激怒して辞めてしまっていたのだ。そのため、D社長はCさんに連絡をしてきたのだった。
数日後、その退職した社員からCさんにメールがあり、今までの御礼と、「D社長は最後まで経理の本質がおわかりにならなかったようでした」と書いてあったそうだ。
CさんはD社長にこれまでも何度も、「経理を無人にしたら大変なことになる」「成長したいならむしろ経理に人を補充しないと」「クラウドがあれば、昔だったら成長に合わせて5人採用が必要だったのが2人の追加採用で済む、そういう使い方がクラウドの正しい使い方だ」と、何度もくぎを刺してきたそうだ。
しかし社長は意に介さず、「だって、この記事にはクラウドを導入すれば経理は無人でできるって書いてあるから」「いきなり社員が辞めちゃったのは慌てたけど、Cさんが導入してくれればそれでいいしね」と、あはは、と笑っていたそうだ。
「それで導入だけはして差し上げたのですが」
「しばらくして大変なことが起こったんですね」
「そうなんです。現場の社員が不正の申請し放題になってしまいました」
フラット組織の「罠」
D社長からCさんのもとに再び「助けてください」と連絡があったのはクラウドを導入して社長の望みどおり経理社員を無人化した半年後のことである。
経費が激増したけれど、その原因が掴めないと言う。Cさんが経理資料を見たら、売上は全く変わらないのに、各社員の経費精算だけが経理社員が辞めてクラウドを導入した翌月あたりから激増していた。
Cさんは、特に半年前と今とで激増した社員を数人ピックアップして、その社員のスケジュール表の過去データを見せてもらい経費精算とを照らし合わせた。すると、打ち合わせの予定がない日付の飲食代やタクシー代の領収明細などがまぎれこんでいたのを発見した。
それをD社長に報告し、D社長は該当者を呼び出し一人ひとり問い詰めたところ、私用の領収書を申請して経費精算をし、お金をくすねていたことを認めた。
なぜ半年も気づかなかったというと、その会社はベンチャー企業によくある「フラット組織」で、上司が経費承認するといっても、一般社員の上司はいきなり執行役員で、彼らは一般社員一人ひとりの日々のスケジュールなどは細かく把握もしていなかった。
だから申請されたものが飲食費やタクシー代など一般的な内容のものであれば、特に問題なく承認していたのである。
加えて「私用の領収書を申請して承認されたらしい」という噂が現場社員の間で広がり、それがいつしか「コロナ禍で在宅勤務も増えて勤務中の光熱費など自己負担している部分もあるから、その分、飲食費や移動費などは福利厚生も兼ねて私用のものでも会社に申請しても大丈夫らしい」と話が歪曲され、それを聞いて申請していた者もいたそうだ。
人間の経理が「居る」意味
「それは大変でしたね。大企業出身で起業をする社長さんって、ピラミッド組織で嫌な思い出があったり、お金のことで経理や何人もの上司からネチネチうるさく言われた経験があったりすることもあるらしい。それで自分の会社は階層を極端に少なくしようとしたり、管理部門の人数を極端に少なくしようとする人が中にはいるんだけど、不正などの『抜け』が出てくる危険性があることに気付いてないから、その点は気を付けてやらないといけないですよね」
「そうなんです。上司が何人もいたり経理がうるさかったりするのは、確かに現場の人達にとっては嫌なこともあるだろうけど、反面それで守られているところもありますからね。特に不正なんかは、上司や経理がいたほうが、「内容」についてのダブルチェック、トリプルチェックができますし、お金の使い方に関しての教育指導も「身近な人」がするのが、一番効果がありますから」
「さっきCさんが言っていた、D社長のところを辞めた経理社員の人が『うちの社長は経理の本質がわかっていない』というのは、経理はただ処理をしているだけの存在じゃないことを言いたかったのでしょうね」
「ええ。居る、ということだけでお金に関する現場の相談相手にもなるし、不正の牽制にもなりますからね」
「良い経理社員がいる会社は、現場の人達が『この人が経理なら悪いことはとてもできそうにない(くらいチェックされている)』、『不正をしたら普段いろいろお金のことで相談に乗ってもらっている経理の〇〇さんに迷惑がかかる(だから不正はやめておこう)』と、経理社員が現場から一目置かれていますよね。そこがお勉強の世界では語れない、書かれていない部分ですよね」
「『経理は簿記がベースだから、理屈や仕組みで全て解決でき、無人化できる』と最初に勘違いして洗脳されてしまうと、後から誰が何を言ってもダメですよね」
「全くそのとおりです。まあ、ちょっとこれでも飲んで、今日はゆっくりしていってください」
後日Cさんは、D社長に「フラット組織であればあるほど組織の階層が薄い分、社員教育が手薄になるので、経理などのバックヤードが代わりに、お金に関するモラルの啓蒙をしないといけないこと。そのためには、クラウドを導入して経理処理の負担を少なくし、より多くの時間を経理社員が現場とのコミュニケーションの時間に使えるような環境にすること。クラウドで経理処理がラクになったからといって安易に経理社員を減らしてはいけないこと」などアドバイスをしたそうだ。
ただ、D社長がどこまで理解してくれたかは「わからない」とのことだった。
※この物語はフィクションです
※掲載している情報は記事更新時点のものです。
※本サイトは、法律的またはその他のアドバイスの提供を目的としたものではありません。当社は本サイトの記載内容(テンプレートを含む)の正確性、妥当性の確保に努めておりますが、ご利用にあたっては、個別の事情を適宜専門家にご相談いただくなど、ご自身の判断でご利用ください。