
業務をデジタル化するにあたり、もちろん無料でソフトウェアを買えるわけではありませんので、多少のお金はかかります。
しかしデジタル化をすることによって減る費用もあるはずです。たとえばコピー用紙代やプリンタのインク代などをはじめ、さまざまな費用が減ることでしょう。
デジタル化した後に、どのような費用が減ったかを経理部門で定点観測をして社長に報告をしていただければ、社長も「トータルで考えるとデジタル化をしたほうが便利にもなるし、ソフトウェアの費用を上回る他の経費の削減ができているのなら、これからももっとデジタル化を推進しよう」という意思決定をしてくださるはずです。
経理が収益改善の貢献に携われる方法の一つではないかと思います。
ところが、費用金額の推移を定点観測しても、本来デジタル化によって減るはずの費用が減っていないことがあります。そこには必ず「何か」があるはずです。
デジタル化をしたのに…
「マスター、いつものお願いします」
そう言ってその社長はカウンターに座ると、お酒ができるまでの間ずっと「おかしいなあ」と独り言を繰り返していた。
「はい、いつものどうぞ」
「ありがとう」
社長は同族企業の跡継ぎで、昨年父親から引き継いで社長となり、100人規模の会社を経営していた。
「ところで、『おかしい、おかしい』って先程からおっしゃっていましたけど、何かありましたか?」
「いや、今日はマスターに聞きたいことがあって来たんですよ。自分は経理の専門家ではないのでマスターに経費のことを伺おうと思って」
「ええ、いいですよ。なんなりと」
「私の会社は昭和の時代から経営してきているので、そろそろアナログな作業をデジタル化しないといけないと思い、展示会に行って経理関連のクラウドのソフトで良いものを見つけたので導入したんです。ところが、確かに作業は便利にはなったのですが、ソフトウェア会社の営業の人が言っていたこととはちょっと違う気がして…」
なぜか通信費が減らない
「そうですか。具体的にはどのようなものを導入したのですか?」
「経費精算と売上請求書発行の部分です。これまでは、手書きだったりExcelだったり、各部署が書式もやり方もバラバラで「とりあえず紙ベースで申請できていればいい、発行できていればいい」という感じだったので、今回ソフトウェアを入れて書式も全て統一して、とても便利になったんです」
「じゃあよかったですね」
「オペレーションは良くなったのですが、ソフトウェア会社の営業の人は『デジタル化をすれば他の費用が削減されるので、ソフトウェアの導入費用もすぐ回収できますよ』って言っていたんです。それなのに、月次決算の数字を見ても経費があまり減っていないんですよ。あれは単なる営業トークだったのかなあと。それでマスターにちょっと意見を聞きたくて」
「なるほど。まずデジタル化をしたら紙で行っていた作業がデータ化されますから、紙代やインク代など、印字するためのコストが減りますよね」
「ええ、それは確かに減っていました」
「あとは売上請求書をこれまで紙で印字したものを郵送していたとしたら、その作業がなくなりますよね。封筒代や宛名シール代などの事務用品費、それから切手代が不要になりますから通信費も減るはずですね」
ここまで言うと、社長は「やっぱりそうか」「やっぱりおかしいんだ」とつぶやいた。
「ソフトウェア会社の人もマスターと同じことを言っていたんです。ですけど、私の会社の数字を見ても、事務用品費などは減っていても、通信費が減っていないんです。それっておかしいですよね…」
「ああ…大変言いにくいのですけど、御社がそうだとは言いませんが、一般論として、社内でもし不正があると経費が減らないケースはあるんですよ」
「え?どういうことですか」
「例えばですけど、売上請求書を郵送するために、毎月切手を購入して経費精算をしている社員がいたとします。それがデジタル化されて売上請求書をメールで送るようになっても、まだ同じように切手を購入して経費申請をしていれば、通信費は減らないですよね」
「つまりその切手を、自分で金券ショップなどへ行って現金化して懐に入れているってことですか」
「古典的ではあるのですけど、古典的なものは普遍的ということも言えますから、念のためそのようなことがないか一度確認してみてはいかがですか」
「そうですか…わかりました」
不正は勘違いだった…?
一週間後、社長が再び来店した。
「マスター、いつものお願い!」
今日は先週より幾分血色が良いように思えた。
「はいどうぞ。今日はご機嫌ですね。何か良いことでも?」
「良いことでもないですけど、先週マスターに言われて経費精算をチェックしてみたら、やっぱりマスターの言う通り、デジタル化以前と同じ量の切手を購入して経費精算している社員が何名かいたんです」
「そうだったんですか」
「それで、デジタル化したのにどうしてまだ同じ量の切手を購入しているのか尋ねたら、『取引先からやっぱり紙でも送って欲しいと言われたので、データと紙と両方送っていました』と言われまして」
「ええ」
「だから、そんなことをやっていては意味がないから、今後は紙では送らないように指示を出しました。もし紙が必要だったらデータを先方で印字していただくようにお伝えしなさい、と言っておきました」
「そうですか」
「いやあ、今だから言いますけど、マスターから『不正があるんじゃないか』って言われたときは、正直むっとしたんです。自分の会社の社員を馬鹿にされた気がして。でもきちんと調べた結果、通信費が減らない理由がわかりましたので、デジタル化を推進して良かったと先代にも報告ができます」
「そうでしたか。それは大変失礼しました。私も失礼かなとは思ったのですが、こんな商売をしながら嘘がつけない性分でした。だからあんまり儲からないのですけどね」
「いやいや、こちらから相談したのですから気にしないでください。これからもどんどん正直にはっきり言ってください」
「本当ですか?」
「もちろん」
「そうですか。そうしたら、もう一つ、言ってもいいですか?」
デジタル化であぶり出された先代からの不正
さらにその翌週、社長が再度来店した。先代の社長である父親も一緒だった。
「いらっしゃいませ。先代、お久しぶりです」
「マスター、この度はお世話になって…」先代は深々とお辞儀をした。
「先日、マスターに言われたとおり、私が直接、各取引先の社長に『今後はデジタル化を推進するので請求書を紙で送るのは今回で終わりにさせて頂きたい』と連絡をしました。そうしたら、どの社長からも『え?データでは来ていますけど、紙ではもう来ていませんよ』と言われました…」
現社長が力なくそう言うと、先代が後に続いた。
「子供からそれを聞きまして、私も同席して切手を購入していた社員を一人ずつ面談しました。そうしたら、先方にデータと紙の両方の売上請求書を送っていたという言い訳は嘘で、使わない切手を現金化して着服していたことがわかりました。それもデジタル化するずっと以前から、常に多めに切手を購入し、余った分を現金化することが社内で常態化していたこともわかりました」
「そうだったんですね。それで社長、もう対策は取られたんですか」
「はい。今後は、切手などは頻繁に使う頻度も減るので、管理部門で一括購入することにしました。そして使う都度、現場から申請をしてもらって渡すように切り替えました。あとマスター、この間は生意気言ってすみませんでした。やっぱりマスターは最初から本質がわかっていたんですね」
「まあ、経理歴だけは長いですからね。でも、これで通信費も今後は削減されますね。先代、頼もしい後継者ができて、しばらくは安泰ですね」
「いえいえ。今回は私の『負の遺産』を子供に背負わせてしまったこと、そして何より社員を犯罪者にしてしまったことを悔いています。以前、このバーにお伺いした時、マスターが『社長の使命の一つは社内から犯罪者を出さないこと』と言っていて、正直、うちの社員がそんなことするわけないと思って軽く受け流していました。でも、今思うと、あれは私への警告だったのだなと今回のことで思い出したんです。だから今日改めてお店に伺いました」
「そんなこともありましたっけ。でも先代、お子様は私が『社内で不正があるかも』と言った時に、むっとはされましたが、きちんと確認してくださいました。そして何より、業務をデジタル化したことで長年隠れていた不正もきれいにすることができたのですから、これからもお子様の社内改革を応援して差し上げてください」
確認し合うことで社内の不正は防げ、信頼関係は維持できる
「もちろんです。私はこれまで信頼関係というのは、あえて確認し合わないことが信頼の証しだと思っていました。でも今回のことで、確認し合うことで信頼関係というのは維持されるのだということに気付きました。会社は子供に任せますが私自身はもっと経理やデジタル化について学び直しをしようと思っています」
それ以来、毎月親子で経理Barに仲良く来店して経営や経理、デジタル化について熱く語り合う習慣が今も続いている。
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