
それぞれの道
「久しぶり~」
「会社辞めてから初めて会うから10年ぶりじゃない?」
「A君、笑っちゃうほど全然変わってない!」
今日の経理Barは貸し切り営業である。
常連のお客さんであるAさんが、前職の同僚たちと飲み会をしようと声がけしていくうちに、せっかくだからOB/OG会をやろうという話になり、手ごろな広さのこの店でぜひ貸し切りでやらせてもらえないか、とお願いをされたのである。飲み放題で、食べ物は各自持ち込み自由、ということで、19時頃から三々五々集まってきた。
それぞれの会話を聞いていると、独立して社長になっている人、気ままにフリーランスで活動している人、大手の広告代理店へ転職した人、あるいは全く別の業界のスタートアップ企業に転職した人など、さまざまで面白い。
「フリーランスは自由で気ままでいいんだけど、大きなプロジェクトに関われないのがちょっと物足りないんですよね」
「あ、それわかります」
「でもさあ、週5日出勤しなくてもいいんでしょう?羨ましいなあ」
「いやいや、会社員の時と違って、フリーランスは仕事がないことのほうが不安になっちゃうんだよ」
しばらくお互いに今どのようなことをしているかを近況報告していると、ムードメーカーの人が「はいはい、込み入った話はあとにして、とりあえずいいですかー、はい乾杯―!」と音頭をとり、OB/OG会が始まった。
幹事のAさんは、皆に声掛けしながら楽しんでいるかをひととおり確認してから、カウンターに腰を掛けた。
「マスター、今日は貸し切り許可してくださってありがとうございます。皆、カクテルも美味しいし、雰囲気も落ち着くって褒めてくれました」
「それはよかったです。Aさんもどんどん飲んでくださいね」
「ありがとうございます」
そんな会話をしていると「Aさんお久しぶりです!」とAさんの背中越しに声をかけてきた人がいた。
「あ、Bさん久しぶり!ねえ、いつもエッセイ読んでるよ。ちょっとすごい転身ぶりじゃない?あ、Bさん、こちらマスター。マスターも経理のプロだからきっと話が合うと思うよ」
Bさんは経理部の社員として働いていたそうだが、「底辺経理社員のつぶやき」という匿名でのSNSでの投稿がバズり、それが出版社の目にとまり、SNSのコメントをまとめたエッセイがヒットし、今やビジネスパーソンの気持ちを代弁するエッセイストの一人として活躍中なのだそうだ。
「私こそ会社員時代はAさんにたくさん愚痴を聞いてもらってとても助かりました」
「マスター、Bさんってこんなに良い人そうに見えるけど、結構エッセイでは毒を吐いているんですよ。エッセイを読んでいると、『辞める辞めると言い続けて何年も辞めない社員』って、同僚だったCさんのことを書いているな、とか、かつての仲間をよくネタにしてるんですよ。私も自分のことが書かれていないかいつもドキドキしちゃって」
「やっぱりAさんにはばれてましたか。さすがにそのままは書かないで、一応何人かの特徴をミックスしているつもりだったんですけど…まあ、ここだけの話ということで」
「ほら、マスター、私の言ったとおり油断ならないでしょう?」
「はは。でもそのほうが読んでいる側としてはリアリティーがあってつい読んでしまいますよね。Bさんのエッセイというのは、たとえばどのような内容なんですか」
滞留債権の多い営業担当者
「私は経理社員でしたので、仕事を通して体験してきた人間の多面性について書くことが多いですね。たとえば、以前の職場にDさんっていう営業社員がいたんですよ。Aさん覚えてます?」
「ああ、あの押しの強い風変りな人ね」
「ええ。Dさんって、営業の仕事をとってくるのはいいんですけど、滞留債権率が異常に高くて」
「滞留債権って、未入金がずっと続いている案件ってこと?」
「はい。だいたい会社全体で毎月10案件くらい当時あったんですけど、そのうちの半分は毎回Dさんが担当の案件だったんです」
「それってヤバくない?なんでそんなに入金がなかったの?」
「いろいろ理由はあると思うんですけど、Dさんの場合は、たとえば単純に売上請求書を先方に送り忘れて届いていなかったり、受注金額を適当に交渉してしまって、売上請求書を先方に送ったあとに『こんなに払えない』と言われて揉めてなかなか入金してもらえなかったりとかでしたね。Dさんが問題だったのは、そういうトラブルを直属の上司にも、そして経理にもいつも隠していたことだったんです」
「そうだったんだ。なんかあの人、いつも勝気で『ちゃんとやってます』的に振る舞うから苦手だったんだけど、その話を聞くと、全体的に『だらしがない人』って感じするね。マスターもそう思いません?」
「そうですね。だらしもないし、そもそも事務全般や数字が苦手な方だったのかもしれませんね。経理のBさんから見てどうでしたか?」
「ええ、マスターのおっしゃるとおりです。それで私がDさんに、ミスやトラブルが発生するのは仕方がないので、その情報をなるべく早く経理にも共有してくださいってメールでご連絡したんです」
「うわあ、Dさん逆ギレしそう。絶対何か言い返してきたでしょう!」
「ええ。返信メールで、『私の前職のE社は一流企業だったから、そもそも売上請求書の発行とか入金の督促とかは現場担当者にやらせず経理がやっていたから、そんなに言うなら経理が自ら進んでやってください』って返ってきました」
「私、一流企業出身なので」の真実
「怖~。Dさんが般若のお面のような形相でメール書いている姿が浮かぶ…。それでBさんどうしたの」
「いや、私、そこで変だなって思ったんです。Dさんって本当にE社の出身なのかなって」
「え?そこ?」
「だって、Dさんって『E社顔』じゃないじゃないですか」
「出た!ちょっとBさん、今コンプライアンスとかいろいろあるからそんなこと言っちゃだめじゃん…ほら、マスターだって必死で笑いをこらえてるじゃん。マスター、だめですよ!」
「…はい、すみません、Bさんが真剣な顔で『E社顔』じゃないからおかしいっていうものですから…クク」
「マスターが素で笑ったの初めて見たかも。さすが毒舌エッセイストの本領発揮だね」
「いえいえ、そんなつもりじゃ…。顔と言ってもルッキズム的な容姿のことじゃなくて『顔つき』が、ってことです。E社って、確かに勝気でチャラチャラした感じの人たちが多いので有名ですけど、仕事はめちゃくちゃできるじゃないですか」
「確かに。単に勝気なだけじゃなくて、実力に裏打ちされた勝気だもんね、E社は」
「ええ。だからDさんの仕事ぶりを見ていると、とてもE社出身で転職してきたなんて思えなかったんです。こんなにお金の管理にだらしない人がE社で勤められるわけないんじゃないかって」
「確かにね」
「それで私、たまたまそのやりとりのあとにDさんの上司と休憩室でお会いしたのでつい聞いちゃったんです。DさんってE社出身のエリートでいらっしゃるんですね、すごいですねって。そしたら『いや、出身っていうか、3カ月間だけ契約社員でE社にいただけだよ』って」
「あー」
「あー」
「あ、Aさんもマスターもハモっちゃった」
「あるあるだね。ねえマスター」
「ええ。あるあるですね」
「ええ、あるあるです。正社員じゃなかったってことが問題じゃなくて、契約社員が3カ月で契約を満了するということは、理由は二つしかないじゃないですか」
「そうだね。一つは契約社員側のほうから『この会社は私が聞いていたイメージと違う』と3カ月で辞退するのが一つ。そしてもう一つは…マスターご回答を」
「E社側が、Dさんの雇用の継続は難しいという判断をしたと」
「ええ。でも前者だったら、きっと『私はE社出身です』って自慢しないと思うんですよね。逆に『私はE社の雰囲気は苦手だったので3カ月で辞退しました』って言うと思うんです」
「そうだね。Dさんにとってはたとえ3カ月でもE社で勤めたことが誇りだったんだね」
「ちなみに、経理の私としては一応確認として、学生時代の後輩にE社に勤めていた子がいたのでE社の業務フローを聞いたら、E社は営業担当者が受注から請求書の発行、郵送、未入金の回収まで、担当者が責任をもってやるフローでした」
「そうだよね。天下のE社の営業担当だったらそれくらい厳しいよね。DさんはいったいE社で何をやっていたんだろうね」
「何もやっていなかったんじゃないですか」
「出た毒舌!Bさんって、やさしいのか怖いのか、本当よくわからないよ」
人は多面性の生き物
「両方とも本当の私です。経理をやっているとよくわかるんですけど、人は二面性どころか多面性の生き物なんですよ。だからいくら現場で評判が良い人でも、経理とかバックヤードの人を見下したり噛みついたりしてくる現場の人は要注意、ということです。と、いうようなことをエッセイで書いているんですよ。マスター」
「なるほど。でも今は会社もデジタル化が進んでいるから、なかなかそういうエッセイも書くのが難しくなってきているんじゃないですか」
「おっしゃるとおりです。今はクラウドの売上請求書作成管理ソフトを導入すれば、受注とか見積の登録を営業担当者がしてくれさえすれば、それが納品済かどうかとか、売上請求書を送付したかどうかというのを担当者本人だけじゃなくて上司も経理もチェックできますからね。
だから請求書の送付漏れも起こりませんし、入金状況も日々情報を更新していけば、誰の何の案件が今日現在未入金か、全員が見られる状況にありますから、ブラックボックスになりようがないですからね。
今お話ししたような担当者同士だけで揉めることも起こりませんし、会社的には業務のデジタル化は数字の情報が全員に可視化されて健全な体制になるので良いことばかりですよ」
「マスター、Bさんはこんなこと言ってますけど、また何か『闇』を見つけて書くんですよ。でしょう?」
「そうですね…。じゃあ今度はAさんとマスターをイメージして書いてみようかな…なんて」
「なんて、じゃなくて、絶対書くでしょう!」
そんな会話で盛り上がりながら、OB/OG会の夜は更けていった。
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