経理Bar~ Season2 請求書でつながる人たち~ <Episode1:口は災いのもと>

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止まらない社長への愚痴

「マスター、聞いてくださいよ。うちの社長って本当に数字をわかっていなくて」

いらっしゃい、とこちらが声をかける間もなく、自分が話したい本題を話し出すおしゃべり好きのAさんが店に入ってきた。

「Aさん、そう滅多なことを言うもんじゃないですよ。で、飲み物は何にしましょう」

「んー、お任せで。だって本当なんだもん」

「本当だったら、なおさらそんなことを言ってはいけないんですよ」

「どうして?」

「さあ、どうしてでしょうね」

「変なマスター!」

Aさんは、社員30人ほどのIT企業でいわゆる「一人経理」をしている。業績は順調で資金繰りもとくに心配がない、経理にとってはありがたい会社だった。そのせいもあって社長も経理に関してはAさんに任せきりで、いつも月の半分以上は国内外に出張で、会社にいることは少ないらしい。

「今日も社長に月次決算の報告メールを送っても全然返信がないし、ちゃんと仕事をしているんだか、遊んでいるんだか」

Aさんは、そんな社長を支えながら仕事をしている分、日頃から、やや「上から目線」の発言が増えてきていた。「近いうちにAさんの会社で何かが起きなければいいが」と思っていたら、案の定、その3か月後、血相を変えたAさんが入ってきた。

「マスター、聞いてください、私…」

「まあ、まず水でも飲んで落ちついて。何があったんですか」

ことの顛末はこのようなことであった。

業務実態のわからない「業務協力費」

昨年、Aさんの会社に勤めていた制作部長のBさんが退職をした。その後、Bさんが発注先であったフリーランスのCさんと一緒に起業をしたらしい、と社内で噂になった。

社員同士で「へー、Bさんって起業のためにお金を貯めていたんだね」「でもそんなにコツコツお金を貯めるような生真面目な人には見えなかったけどね」などと話をしているのをAさんが耳にし、おしゃべり好きのAさんはそれを我慢できず社長に口を滑らせてしまった。

社長は「え?あいつ、家族の介護があるから実家に戻ってフリーランスとしてやっていきますと言っていたのに嘘だったの?誰からその話を聞いた?」とAさんは問い詰められ、そして噂の発信元の社員は、社長からBさんが今どこにいるのかを確認させられる羽目になった。

そして社長は、AさんにこれまでのCさんから請求のあった支払請求書をすべて見せるように言った。Cさんとの取引は過去4年にわたり続いていたが、当初「業務協力費」として、10万円だった請求金額が徐々に増えていき、最終的には毎月80万円の請求が約2年間続いていた。トータルすると3000万円近い取引実績があった。

「ねえAさん、うちの会社、Cにこんなに払ってたの?最初毎月10万だったはずだけど」

「はい、徐々に金額が増えていって最近は毎月80万円でした」

「どうして金額が増えたことを社長の自分に言ってくれなかったの」

「だって社長は『自分は忙しいから100万円以上の支払請求書だけ回覧して。あとの支払請求書の管理はAさんに任せるから』って」

Aさんの会社では、初回取引の際は社長まで支払請求書を回覧するが、2回目以降の取引では、管理職の各部長が決裁した100万円未満の支払請求書は社長に回覧せず、Aさんがチェックし、そのまま支払処理をしていた。

支払請求書をじっと見ていた社長は、ふとAさんに聞いた。

「ねえAさん、自分が普段100万円未満の支払請求書のものはチェックしないでAさんに任せてあるって、誰にも言ってないよね」

「え、どうしてですか」

「もし悪い社員がそのことを知ったらさ、『じゃあ100万円までだったらキックバックを上乗せした支払請求書を回覧して、社長の目を通らずにお金が振り込んでもらえるかもしれない』って思うじゃん」

「そうですかね」

「そうだよ。で、誰にも言ってないよね」

「え…言いました…」

「Bにも言った?」

「はい…というか、うちの社員、皆そのルール、知っています」

「なんで?」

「なんでって言われましても…」

「しゃべったの?ペラペラ全員に」

「はい…」

「Aさんさあ、前から思っていたけど口軽すぎだよ。なんでそんなことわざわざ皆に言う必要があるの?そんなこと社員からAさんに聞かれることないでしょう。なんでそんなこと自分からしゃべるの?」

「…すみません」

「もういいや、毎月80万円なんて請求ありえないし、このお金を元手に起業したんだろうからBとCに直接確認するよ」

そう言って社長は、社員から情報を得たBさんとCさんの居所に乗り込み、直接問いただしたそうだ。BさんとCさんは「実際に業務委託関係があり、その金額に見合う仕事をしていた」と主張し続けた。

しかしBさんは社長に責められてつい、売り言葉に買い言葉で「社長こそ、いつもAさんが愚痴ってましたよ。支払請求書は大切だから社長にも全部確認して欲しいのに、初回取引と100万円以上のものしか見てくれない。社長はお金のことに無頓着で全然わかっていないから私が苦労している、って」と口を滑らせてしまったそうだ。

その言葉で社長は確実にそれを悪用して、不正の80万円の支払請求書でお金が抜かれ続け、独立資金が溜まった段階で辞められたと確信したそうだ。

ただ、大ごとにしたところで業界内の話題になってしまうし、もともと自分にも隙があったと思い、それ以上追及するのはやめ、勉強代として自分を納得させたそうだ。

そして会社に戻ってきて、社長からAさんにはその旨報告があったそうだが、「今回の件は、君の口の軽さにも原因の一端があるよ」と言われたそうだ。

Aさんにも不正を発生させた原因がある?


「ねえマスター、どう思います?」

「そうですね。『実際に業務協力をしていた』と言われてしまったら、そうでないことを証明するのは大変ですしね。それに、そんな不正をしたやましいお金で起業をしても、いずれBさんとCさんはうまくいかなくなって衝突して喧嘩別れするだろうから、社長さんもそれでいいと思ったんでしょうね」

「マスター、そこじゃなくて、私、社長から『今回の件は、君の口の軽さにも原因があるよ』って責められたんですよ。それって私のせいですか?」

「責任があるかないかといえば、もとの原因はBさんですから、Aさんには責任はないと思いますよ」

「ですよねー」

「ただ、Aさんが今回の不正を防ぐことはできたかもしれないですね」

「え?どうやってですか?」

「たとえばAさん、もし私が来月から臨時でAさんの上司になったとしましょう」

「それは助かりますね」

「社長や他の社員達から『ねえマスター、Aさんの実力ってマスターから見てどうですか』と聞かれたら、私は何と言うと思いますか」

「それは正直に言ってもらえばいいですよ。できていないところはできていないって」

「私はAさんができていてもできていなくても、社長や他の社員達には『Aさんはきちんとできていますよ』と言いますよ」

「さすがマスター。部下思いですね」

「そうじゃないんですよ。むしろAさんができていなければいないほど『Aさんはきちんとできています』とアピールします」

「それって、私への当てつけですか」

「いえいえ。もし私が社長や他の社員達に『Aさんは全然経理の本質をわかっていないですよ』なんて言ったら、社員の中に『そっか。じゃあ不正してもAさんでは見つけられないだろうから、今度やってみようかな』と思う社員が出てきてしまうからですよ」

「そんなものですか?」

「ええ、そういうものです。だから『社長は数字のことをわかっていない』とか、『社長は数字に興味がない』なんて、安易に他の社員達に言ってはいけないことなんです」

「確かにそうかもしれないです…。マスター、もし私が百万円以上の支払請求書しか社長はチェックしていない、ということを誰にも言わなかったり、社長は数字にものすごく敏感な方だと普段から皆に言ったりしていれば、今回のことはなかったですか」

「絶対なかったかと言われるとわかりませんが、少なくともBさんは『この会社では不正をやるにはリスクが高い』」と思い、思い留まってくれたかもしれませんよね」

「でもマスター、実際のところ、社長はそこまで経理や数字に興味があるかと言われたら…」

社長が経理や数字に興味を持っていただける行動習慣を「現場社員の前」でアプローチしてみる

「そうですね。黒字の会社でもそういう社長さんがいるかもしれませんね。もし私でしたら、現場社員のいる前で『社長、経理のミーティングをさせていただけませんか』と大きな声で言って、実際にきちんとミーティングをして数字の理解をしてもらうようにするとか、『社長は出張で海外にいても、皆さんが申請する請求書や領収書を見れば、一瞬で日本での働いている様子がわかるんですよね、社長』」と現場の人の前で言うと思います。社長は現場出身の方が多いですから、現場の人達の目を意識すると思うんです。そのような行動習慣を繰り返していけば、実際に社長も経理や数字に触れる機会が増えて、数字への感覚もさらに鋭くなります。社長を「ディスる」より、社長を「数字に鋭敏な社長になっていただく」「尊敬できる社長になっていただく」方法を考えるほうが経理として良いと思いますよ。」

「なるほど、やってみます」

「それでAさん、お願いがありますが」

「何ですか」

「今私がアドバイスしたこと、社長には内緒ですよ」

「え、言っちゃだめなんですか。社長が数字に詳しくなるような方法を考えなさいってマスターから言われたって」

「そんなことを言ったらさすがに本気で社長に怒られますよ」

Aさんが、「口は災いのもと」という言葉を本質的に理解できるようになるにはまだ時間がかかりそうである。

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