経理Bar~ Season2 請求書でつながる人たち~ <Episode9:「負けて勝つ発想」でデジタル化を推し進める>

読了まで約 8

二代目は「お坊っちゃん」

「社長になって最初の1、2年はそんなものだって。自分も同じようなものだったから、マスターに何度も悩みを相談したよ」

「それにしても大変だよ。売上請求書1枚見せてもらおうにも皆嫌がるんだからさ」

Barのカウンターで互いに慰め合っているのは、共に親から引き継いで2代目として奮闘している「若社長たち」だ。

慰めているAさんは、親が経営していた広告業を引き継ぎ3年目になる。一方、慰められているBさんは、同じく親が経営していた部品メーカーを引き継いでまだ半年。それぞれ学校を卒業して、好きな道に進んで自由気ままに仕事をしていた。

だが、親が高齢になり、親から「後を継ぐ気があるなら譲るけど、そうでないなら、自分の代で会社は畳むから」と言われ、二人とも後を継ぐことを決めた。

その理由は、従業員の顔が浮かんだからである。子供の頃から会社に遊びに行くと「お坊っちゃん」と従業員たちに遊んでもらったり、宿題を教えてもらったり、可愛がられて育ったからである。その従業員たちを路頭に迷わせることは忍びない、と、それぞれ勤めていた会社を辞め、後を継いだ。

「さぞ従業員の皆も二代目として自分が後を継げば喜んでくれて、業務改善にも協力してくれるだろう…」。そんな妄想を二人とも抱いていたが、その予想は半分当たり、半分外れた。

Aさんの会社もBさんの会社も「お坊っちゃんお帰りなさい!」「この年で転職するのも難しかったので、お坊っちゃんのおかげで路頭に迷わずに済みました」「あとは私たちがすべてやりますので、お坊っちゃんは何もしなくていいです!」と、口々に笑顔で歓迎した。ところが…、である。

AさんもBさんも社長に就任してしばらくして、「過去の売上請求書やデータの明細を見せて欲しい」など、経営分析のために従業員に資料を要求しました。しかし「私たちがしっかり管理していますのでご安心ください」「お坊っちゃんは何もしなくて結構ですから」と、子供扱いをして、言うことを聞いてくれないのである。

まさにBさんは、今現在その渦中にいた。

「先代は良かった…」

「まずは紙の売上請求書をデジタル化しようと思っていたんだけど、全然資料を見せてくれなくて。社長になる前にいろいろ勉強として読んだ本の中に、『上司が部下に資料を見せて欲しいと言っているのに拒否をする人は何かを隠しています』って書いてあったから、従業員が不正でもしているんじゃないかと思って。そう思わない?明日問い詰めてみようと思って」

「やめなよ」

「何で?」

「自分も同じことをやって大失敗したから」

「え、そうなの?」

過去にAさんは、自分を子供扱いして言うことを聞かない従業員たちに「自分の言うとおりに資料を出さないということは、何かやましいことがあるんじゃないか」と、逆ギレしてしまったことがあった。

すると従業員たちから、「先代はすべて自分たちに任せてくれていたのに」「先代は人を疑うようなことは言わなかった」「先代の時代は良かった」と、口々に「先代、先代、先代…」と不満や不信の声が一斉に上がったのである。

さらに従業員の誰かが先代の父親に告げ口をしたらしく、父親から「どうなっているんだ」と説明を求められる羽目になったのだった。

「ちょうどそんな時にマスターにどうしたらいいのか相談したんだよね、マスター」

「ええ。あの頃はAさんもご苦労されていましたね」

「そうなの?じゃあマスター、僕の相談にも乗ってください!」

「相談というほど偉そうなことでもないんですが…Bさんのお役に立つなら少しお話しましょうか」

「お願いします!」

「負けて勝つ」を覚える

「まず、『お坊っちゃん』と呼ばれているのですから、それを逆に利用するといいと思いますよ」

「どういうことですか」

「つまり、『社長といってもまだ入社したばかりで何もわからないので一つひとつ教えてください』という体(てい)で、従業員の人たちとコミュニケーションをとるんです。そうすると、『坊っちゃんにそこまで頼まれたら断れないなあ』と、警戒心を解いて胸襟を開いてくれます」

「でもそれって、舐められませんか?」

「Bさんのように、事業継承で親から社長を引き継ぐと、おのずとベテラン社員や幹部は自分より年上になりますよね。そうすると若社長は、『年上の部下に舐められちゃいけない』っていうのがやっぱり顔や態度に出てしまうんですよ。でも、もし自分が逆の立場だったらどうですか?そういう顔や態度をされたらやっぱり警戒すると思うんですよ。『この年下の若社長は、上から目線で自分たちの仕事の粗を探そうとしているんじゃないか』って」

「ああ…確かに逆の立場だったらそうかもしれないですね」

「ええ。Bさんはもう立派な大人の社長でいらっしゃるんですけど、従業員の人たちにとってはまだ『お坊っちゃん』の残像があるのでしょう。だから『負けて勝つ』じゃないですけど、最初のうちは『お坊っちゃん』を演じて差し上げて、その間に確認したい資料やデータなどを回収してチェックしてしまえばいいと思います。目的はそれですからね」

「なるほど、『負けて勝つ』ですね。わかりました。そのあとはどうするんでしょう?」

「たとえば売上請求書でしたら、紙などで保管してある売上資料を担当者からお借りして、クラウドの売上請求書のソフトウェアの無料トライアルなどに会員登録して、Bさんが入力してしまうんです。もし請求書の量が多かったら、とりあえず1カ月分だけでもいいですよ」

「ええ」

「それで、あとは入力マニュアルを作って差し上げて、担当者を呼び出して、また『お坊っちゃん』になりきってお願いするんです」

「何てお願いするんですか」

「『〇〇さんがいつもアナログの作業で遅くまで残業していて身体のことが心配だったので、作業がラクになるソフトウェアを僕が見つけて1カ月分入力してみましたから、ちょっと続きを一緒に入力してみませんか』って。嬉しいと思いますよ」

「嬉しいですかねぇ…」

「それが、うまくいったんだよ!」

会話を横で聞いていたAさんがここぞとばかり割って入ってきた。

「最初はみんな嫌がってたよ。やっぱり何十年もやっていたそれまでの仕事のやり方を崩したくないみたいだったし。何よりデジタル化して、自分の仕事が減ってリストラ対象にされちゃうんじゃないかとか、ソフトウェアの操作ができなくてついていけないんじゃないかって不安が、あとから聞いたら実はあったらしい。でも、マスターのアドバイスどおり、『負けて勝つ』手法を使ったらすんなり一緒にソフトウェアに入力してくれたよ」

「どんな風に?」

「『子供の頃は、遊んでと言ったら一緒に遊んでくれたり、宿題教えてと言ったら教えてくれたりしたのに、どうして今は僕のお願いを聞いてくれないんですか?ねえお願いしますよー』、って駄々こねてみた」

「何ですかそれ…」

「でもそうしたら、『もう、お坊っちゃんにはかなわないなあ』って、諦めて一緒に入力してくれて、そのまま売上請求書をデジタル化できたよ」

「本当に?」

「結局さ、皆、一緒に楽しく仕事をしたいだけなんだよ。だから従業員の皆も、最初は『お坊っちゃんと和気あいあいと楽しく仕事ができる!』と楽しみにしていてくれてたらしいのが、自分が一人ひとりの作業を上から目線でチェックし出したから、『あのお坊っちゃんが…』と困惑したらしいんだよ。だから『負けて勝つ』手法で、最後に目的が達成されればそれでいいんだよ。結果的に会社全体の業務のデジタル化ができたから。ね、マスター」

業務のデジタル化への説得には、理屈と情を使い分けてみる

「ええ。当然ですけど、普通に『業務改善の一環でデジタル化をすれば生産性が上がりますので、皆さんご協力をお願いします』と言って納得してもらえればそれが一番いいですよ。でも、人間には『理屈で納得する人』と、『情で納得する人』の二通りいますから、理屈で納得する人には理屈で説明して、情で納得する人には情でお願いをして課題を解決するという考え方もあると思います。

もちろん、Bさんが『自分はこのやり方が一番だと思う』というやり方でまずは業務改善をされるのがいいと思いますし、社長としてそうすべきです。でも、もしそれでうまくいかなかったら、うまくいかない方法をさらに無理強いしようとしないで、一旦そのやり方は横に置いて、今お話したような別のやり方も試してみるといいかもしれませんね」

「わかりました。考えてみます」

後日、Bさんから報告があり、「負けて勝つ」手法で、売上請求書のデジタル化が無事できたそうだ。そして同様に、他の業務もデジタル化を進めているとのことだった。

Bさんは、従業員から「お坊っちゃん」と呼ばれると「自分は社長なのに、従業員から舐められている」と思っていたが、Barで話を聞いて「舐められているんじゃなくて、慕われていると思えばいいのか。じゃあそれを有効活用させてもらおう」と考え方を切り替えたそうだ。

そして今はもう「お坊っちゃん」ではなく「社長」と従業員から呼ばれているとのことだった。

※掲載している情報は記事更新時点のものです。

※本サイトは、法律的またはその他のアドバイスの提供を目的としたものではありません。当社は本サイトの記載内容(テンプレートを含む)の正確性、妥当性の確保に努めておりますが、ご利用にあたっては、個別の事情を適宜専門家にご相談いただくなど、ご自身の判断でご利用ください。