経理が抱える「モヤモヤ」
「マスター、ちょっと聞いてもいいですか。マスターって経理の不正のチェックをするときって、人を見て『怪しい』と思って請求書をチェックするんですか。それとも請求書の内容が『怪しい』と思って申請した人をチェックするんですか」
カウンターで一人浮かない顔で飲んでいたAさんが話しかけた。
「どうしたんですか。なんだか禅問答みたいですね」
Aさんは新卒で入った会社で、営業部で3年、そして制作部で3年働き、昨年から経理部に配属された。1年かけて経理処理は一通りできるようになり、やっと業務全体が見えるようになったと前回来店した時は言っていた。
「なんだか私、経理部に配属されてからモヤモヤすることが増えてしまって…」
「最近やっと経理の仕事に慣れたところだとおっしゃっていましたけど、楽しくないですか?」
「いえ、経理の仕事自体は楽しいですよ。会社を維持するにはこれだけお金がかかるのか、とかいろいろ勉強になりますし。ただ、経理に配属されてからいろんな人のことを疑心暗鬼に見るようになってしまって…」
「たとえばどんなことが気になってしまうんですか?」
「経理に配属してすぐの時に、私がキックバックの請求書を見つけてしまったお話しましたよね」
「ええ。お手柄でしたね」
「私自身、現場部門にいたので、この請求書の金額はあり得ないってすぐ気づいたんですけど、それを申請していたのが信頼していた同期だったので、その後いろいろ大変なことが起きて…」
「そうでしたね」
「私もショックだったのに、不正をしていた本人からは、懲戒解雇になって最後会社を出ていく時に『同期のくせに裏切者』って捨て台詞を吐かれましたし、コロナ禍で自粛していた定期的な同期会も、やっと再開できるね、なんて言い合っていたのに、その件のおかげで同期同士も気まずくなって再開の目途が立たなくなってしまったし…。私が不正に気づかなければこんなことにならなかったのに、何てことをしてくれたんだって同期から責められているみたいで」
「そんなことないですよ。Aさんが不正を見つけてくれたおかげで組織が健全化されたわけですし」
「そうですよね。私もそう思っているんですけど…。現場の仕事なら良い仕事をしたら皆笑顔になるし褒められるのに、経理は不正を見つけても皆笑顔にならないし、ケースによっては逆恨みまでされるじゃないですか。承認欲求があるわけではないですけど、私がした仕事で笑顔になってもらえるのがこれまでの仕事のモチベーションの一つだったので、経理では私が頑張ったら逆に困る人がいるのかなとか、モヤモヤ考えてしまっています」
「たしかに、それに関しては私もそう思いますよ」
「え?マスターもですか?」
正しい仕事をしているのに相手からは笑顔が消える
「ええ。昔、受注生産が中心の会社があって、その経営が赤字だからということでコンサルタントをお願いされたのですが」
「ええ」
「帳簿を見せてもらったら、売上がない会社なのかなと思ったら、そこそこ売上があるんですよ。それなのに赤字っておかしいよなと、すぐに思ったんですよ」
「そうですよね。受注生産だから作りすぎることもないし、かけるコストも赤字にならないようにコントロールできますしね」
「ええ。Aさんが現場の経験から“おかしい”と思ったのと同じで、私もビジネスの仕組みから見て“おかしい”と思ったんです。それを社長にお伝えしたらあまり良い顔をされなくて」
「どうしてですか」
「社長として、自分の会社の社員を疑いたくないじゃないですか。その中には長年信頼しあって一緒に仕事をしてきている人達もいますし」
「ああ、わかります。私と不正をした同期社員の関係のようなものですよね。仮にマスターが社長で私が部下だとして、マスターから『ねえ、Aさんの同期のあの人、不正をしているかもしれないから過去の請求書をすべてチェックして』と言われたら、『はい喜んで!』なんて気持ちになりませんよね。むしろ『私の信頼している同期が不正をしているかもしれない…、しかもそれを私に調べさせるなんてマスターも酷なことを言う…』と思ってしまうかもしれません」
「ええ。私もその案件の時は不正の有無を確認することに精一杯で、その時の社長のお気持ちまで考える余裕がありませんでしたが、Aさんの話を聞いて、もう少し配慮した言い方があったかもしれないと思いました。でも、経理ってそういう仕事ですよね。時には人が触れられたくないところに触れなければいけない仕事というか」
「刑事ドラマでもありますよね。『皆が不幸になるくらいなら真実など知らないままのほうがいいのになぜ暴こうとするんですか』『たとえそうなったとしても、真実を明らかにして、二度とこのようなことが起こらないようにするのが私たちの仕事です』みたいな」
「そうですね…。あ、なるほど、今わかりました。Aさんのモヤモヤの原因が」
「今の話でですか?」
「ええ。ひょっとしてAさんは、経理は警察のように皆を取り締まる役割だと思っていませんか」
経理の仕事は「取り締まり?」
「違うんですか?」
「たしかにそのような一面もありますが、それを経理の仕事のメインにしてしまうとつらいと思うんですよ。そうなってしまうと、社長からアルバイト社員まで、いつも全員を疑心暗鬼に見ていなければいけなくなってしまいます」
「まさにその通りです。動きが気になる社員がいると、その人が申請している請求書すべてにひょっとしたら何かあるんじゃないかって思ったり、気になる請求書があると、その申請した人自体をこれまでと違う目で見なければいけないのかなと思ってしまったり」
「疲れるでしょう?」
「めちゃくちゃ疲れます!」
「経理の仕事って、メインは何かと言われたら、私だったら月次決算を作成したり、お金の管理をしたり、入金確認や出金処理をしたりする、いわゆる経理処理が一般的な会社ではメインの仕事だと思うんです。その作業過程のなかで『あれ?』という気になる請求書があれば、さらに深く調べたり、確認したりすればいいと思うんです。だから、先ほどAさんから言われたの質問の答えは、私の場合は、まずは請求書の内容を見て、疑問に感じることがあれば、他の取引先の請求書と比べたり、過去の請求書と比べたりして、最終的に担当者に尋ねるかなと思います」
「そうなんですね」
「ただ、私は経理出身で会社員時代は現場経験がなかったからそうしているだけですので、AさんはAさんのやり方があっていいと思いますよ。Aさんは現場の経験がある分、請求書の内容を見て『私だったらこの仕事でこんな高額の見積りをとらないけどな』『あの人の性格からしてこのような発注の仕方をするだろうか』」という発想で、請求書と内容と担当者を同時にイメージできるじゃないですか。それは私にない強みだと思いますよ。だから余計に見え過ぎてしまって、疲れてしまうのかもしれないですね」
「そう言っていただけると励みになります」
「でも請求書って、いきなり現場担当者から経理に来ることは少なくて、担当者の直属の上司が内容をチェックしているはずです。上司がいない小規模な会社でも社長がチェックしているでしょうから、一人で全責任を抱え込まなくても大丈夫だと思いますよ」
「たしかにそうですね」
「どちらかと言ったら、『この人は大丈夫だろう』『この請求書は絶対大丈夫』という思い込みを持ちすぎないことのほうが大事かもしれません」
「どういうことですか」
他人より、まずは自分を疑う
「怪しいものに関しては、経理に届く前に現場の直属の上司がやはり見つけることも多いと思うんです。経理まで届きやすい不正が含まれているものは、『この社員は絶対に不正をするような人間ではないと誰もが思っている人が申請した請求書』や『この請求書は不正のしようがない』と誰もが思い込んでいる内容の請求書です。経理は守りの部署なので、99%不正はないと経理担当者自身も思う請求書でも、残り1%の可能性を考えてその1%に対応するということが経理の仕事だと思います。常に思い込みや偏見を持たずに仕事をすることが経理では重要かもしれませんね」
「なるほど。『他人や他人の申請した請求書を疑う前に、まず自分の思い込みを疑う』ということですね。それならできそうですし、毎日疑心暗鬼にならずに済みそうです」
「ええ。日頃は『自分の思い込み』を疑って、有事の時だけ、その該当するものを確認、検証するようにすればいいと思いますよ」
「ありがとうございます。ちょっとモヤモヤがすっきりしました」
「よかったです。じゃあ、もう一杯いかがですか」
「お願いします!あ、あといくつかマスターに聞きたいことがあって…」
Aさんのモヤモヤは、まだまだ尽きないようであった。
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