経理Bar~ Season2 請求書でつながる人たち~ <Episode2:請求書扱いと領収書扱い>

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タレントのわがままで現金取っ払い?

経理Barには仕事で疲れたお客さんも集まってくる。経理業務は間違ってはいけない仕事なので、日中ずっと緊張し続けている人も多いからだ。そんな人たちも仕事が終わればその緊張から解放される。

「いらっしゃいませ」

「マスター、度数の高いお酒作って。もう今日疲れちゃったからさ」

Aさんは、イベントやキャスティングを行う会社の経理部長である。企業イベントを受注して、それに見合う著名人をキャスティングしている会社だ。

「今日は一段とお疲れですね」

「いや、今日本当に危ないことがあって、気がついて良かったですよ」

「今から作りますから、その後でお話聞きましょう」

その日は、Aさんの会社が受注した化粧品メーカーのイベントがあったそうだ。そのイベントのゲストとして、今話題になっているタレントのBさんをキャスティングした。

Bさんは「モノ言うタレント」として、これまでの業界の古い慣習やタブーをSNSで公開し、その改善を世の中に訴えることで注目を集めていた。その一方で、派手なプライベートの生活も公開しており、若い世代から絶大な支持を得ていた。

イベント当日の午後、経理部の電話が鳴った。経理担当者のCさんが、何やら深刻な様子で、電話口で話をしている。そして電話を切るや否や、Aさんのところにやって来た。

「部長、今、化粧品イベントの現地にいる担当社員から電話があって、タレントのBさんのギャラを今日中に現金で渡さなければいけないことになったから、今すぐイベント会場まで私に届けて欲しいとのことです。今から現金を下ろして現地に行ってきていいですか」

「え?ギャラっていくら?」

「150万円です」

「150万円って。Cさん、そんな高額な金額、今の時代に現金で取っ払いで支払うところなんてないよ。請求書払いに決まっているでしょ」

「いや、でも今日中に払わないと、BさんがSNSで『今日のイベントのギャラをどうして今日もらえないんだろう』って投稿するって騒いでるって」

「本当?それ、誰が誰に言ってるの?」

「えっと、タレントのBさんのマネージャーが、うちのイベント担当者に言っているそうです」

「Cさん、ちょっと落ち着こうか」

「でも時間がないらしくて」

「Cさん、落ち着いて。経理がそんなに取り乱してどうするの」

「でも」

「冷静に考えてよ。たとえば3000円のエキストラ50人分のギャラだったら、それは50人にそれぞれ請求書を発行してもらって、経理が振込先を登録して振込するよりも、現地に現金を持って行って領収書に署名してもらって、各人にその場で現金でギャラを渡したほうが効率もいいよ。だけど、150万円のギャラだったら何があるかわからないから、請求書のやりとりで振込扱いにしたほうがお互い安全でしょう。それにそれくらいの高額な金額だったら、事前にBさんの事務所とうちの会社とでどのような支払方法にするか決めるでしょう。タレント本人がお金をもらう方法や日にちを突然当日に変更できるわけないじゃない」

「そう言われればそうですね…」

「でしょ。それにBさんの事務所、他にこれまでも何人かキャスティングの実績あるでしょう」

「はい」

「今までで一度でも当日現金払いにしたとかあった?」

「いえ、全て支払請求書がイベント後に送られてきて、翌月末日払いでした」

「そうでしょ。だったらなぜ経理としてこう思わないの?『なぜ今回だけ急に現金で当日に欲しいだなんて言ってきたんだろう』って」

有事にしか経理の危機はやってこない

そこまで話して、やっとCさんは我に返って落ち着きを取り戻した。

「すみませんでした…現地の担当者が慌てていたのでつい自分も取り乱してしまいました…」

「Cさん、アクシデントや不正っていうのはね、経理が余裕をかましている時になんて来ないの。経理の余裕がない状況を狙ったり、そのような状況を意図的に作ったりして襲ってくるものなの。だから現場が慌てている時ほど経理は落ち着いて客観的に対応をしないとだめだよ。まずは現場の担当者を落ち着かせないと」

「そうですね…。でも、じゃあどうすればいいですか。時間がないらしいんですが」

「とりあえず、私がBさんの事務所の本社になぜ今日現金が必要なのか電話をして確認する手配をとるから、その確認が終わるまで待機しておくように現場担当者には伝えてくれる?」

とAさんはCさんに指示を出すと、すぐ現場の部長に顛末を連絡し、現場の部長から直接Bさんの事務所の社長に連絡をとってもらった。

すると思わぬ返事が返ってきた。

事務所の社長曰く、「私はいつも、現金のやりとりは危ないから請求書払いでお願いしたいとどの取引先にも言っているんだけど、最近、現金払いでお願いしたいってマネージャーを通して言われる会社が増えたから変だと思っていた」ということだった。

そして事務所の社長は、その足で幹部を連れてイベントの現場に駆け付け、マネージャーを取り囲んだそうだ。

「要するに、マネージャーがギャラを中抜きしていた、ということですね。」

「さすがマスター、話が早い」

請求振込ではできない不正の手口

つまりこういうことである。

タレントBさんの本当のギャラの相場は100万円だった。けれど、担当マネージャーがAさんの会社にはBさんのギャラは150万円と提示し、しかもそれをマネージャーが現金で受け取ることで、50万円を横領し、差額の100万円だけを会社に納めていた、ということである。

Aさんの会社には100万円の自作の領収書を渡しておけば、どちらの会社にもとくに気付かれなくて済むという算段だった。ただ、金額も金額だけに、事前に「現金でください」と条件提示したら、経理から「危険だから振込にしてください」と言われてしまう。

だから当日になって「タレントBさんがわがままを言っている。言うことを聞かないとSNSでつぶやくらしい」と嘘をついて、担当者を慌てさせて現金を持ってこさせる、という手口を繰り返していたそうである。もちろんタレントのBさんはこの件には何も関わりはなかった。

「現場の社員の人たちは、現場でアクシデントがあるのが一番怖いですからね。突然何か言われたら相手の言うことをつい信じてしまいますよね」

「ええ、マスター。だから私たち経理がしっかり現場をフォローしてあげないといけないんです。今回の件でいえば、うちの部署のCさんは、現場の言うことを速やかに聞いてあげるのが経理としてふさわしい行動だと思ったのでしょう。それはそれで普段は問題ないのですが、高額な金額の移動を考えたら『なぜ今の時代に現金のやりとり?』『こんな慣習まだ業界に残っている?』ということを慌てている中でも冷静に判断して、現場の言うことを鵜呑みにせずに一旦周囲に確認することも大事だよ、と、伝えました」

「Aさんや私くらい海千山千でさまざまな修羅場を経験していればわかるかもしれませんが、経験が浅いととっさの客観的な判断が難しいかもしれませんね」

「請求書扱いにするか領収書扱いにするか、どちらにするのかは内容によっては意外と難しい判断もありますけど、今回のようなケースは請求書扱いにして振込にするのが安全ですよね」

良い経理は取引先をも守る

後日、Aさんが部下のCさんを連れて経理Barに現れた。二人とも笑顔である。

「いらっしゃいませ。今日は笑顔ですね」

「今日はいいことがあったんですよ。Cさん、マスターに話してあげて」

「はい!」

タレントBさんの会社のマネージャーの不正が発覚し、そのマネージャーは懲戒解雇となったそうだ。

普通なら会社の不祥事は公表したがらないのが常だが、正直が心情のBさんは、社長に許可を得てSNSにその顛末を公開したそうだ。

そして「私が普段からSNSに派手な私生活をアップしていたのを見て、マネージャーは『そんなにお金があるんだから、自分だって少しくらいは分け前をもらってもいいだろうと思った』」と言っていたことを書き込んだ。

そして、「マネージャーは入社当初はとても誠実な人だったのに、そこに甘えて配慮をしていなかった自分にも責任がある、これからは派手な生活も改めます」と反省の弁を書いた。

そして最後に「今回の不正に気付いてくれた〇〇社の皆さん、本当にありがとうございました。うちの社長も危機管理ができている素晴らしい会社だと言っていましたし、私もそう思います!」と書き込んでくれたそうだ。

「報われましたね」

「ええ、マスター。Bさんはすごく影響力がある人なので、うちの社長も喜んで『今年の社長賞は経理部に決定だ』と言っていました。当社への仕事の引き合いや採用求人の応募も一気に増えたようです」

「経理の仕事は普段地道な仕事が多いですけど、毎日の積み重ねがこうやって会社や取引先に貢献できることがありますよね」

「マスター、今日は社長のポケットマネーを頂いて飲みにきたので、一番高いお酒をお願いします!マスターもぜひ一緒に!」

「そうですか。ありがとうございます」

3人で乾杯をし、夜は更けていった。

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