
展示会への潜入調査
「こんばんは。はあ疲れた。マスター何でもいいのでさっぱりしたお酒お願いします」
まさに精根尽き果てた、という言葉がぴったりの様子でAさんがカウンターに腰かけた。
「はい、どうぞ。柑橘系だからさっぱりしていますよ。そういえば今日が初日でしたっけ」
「そうなんです。足がパンパンで、正直現場の人たちがこんなに大変だなんて思いませんでした」
Aさんは中堅企業B社の経理スタッフだが、「とある事情」で展示会のスタッフとして今回現場に駆り出されていた。
「でもコロナが明けて良かったですね。展示会ができないとビジネスも難しいでしょう」
「ええ。今日も仕事の合間に営業や販促チームから、コロナ禍で直接お客さんに製品を紹介できなかった時の大変さを聞かせてもらいました。やっぱり展示会って大切なんだなと知りました。むしろコロナがなかったら、現場の人たちの大変さを知ることもなかったかもしれません」
「じゃあ今日はすごい人手だったんですか」
「そうなんです。だけどどの会社も呼び込みの競争が激しくて、なかなかうちの会社のブースに寄ってくれなくて大変でした」
「Aさんは経理だから来場者に声掛けするのとか大変だったでしょう」
「ええ。計算なら何時間でもできる自信があるんですけど、声かけは来場者の方たちに相手にされなくて素通りされるたびに落ち込んでしまって。それで今何時かなと時計を見たらまだ1時間しか経ってないっていう…。今日は本当に疲れました」
「職種の違いですよね。営業のような仕事は10人声をかけて一人興味を持ってくれればいいくらいの感覚ですからね」
「反対に経理は10件処理したら10件絶対に間違いがあってはいけない仕事なので、10人声をかけて1人反応があればいいよ、という考え方に慣れないんですよね」
「まだ今日は初日だからこれからですよ。あと二日ですよね」
「はい、頑張ります。あの件も引き続き確認しなければいけませんし…」
販促品の管理
B社に新任の経理部長であるCさんが入社してきたのは今から3カ月前であった。Cさんは、定年退職する前任者の経理部長から引継ぎを一通り行った後、自分が気になる項目について社内の資料をチェックしていた。
すると、販促用に購入しているプリペイドカードの請求書が目に留まった。販促部門のスタッフに聞いたところ、コロナ禍では中断していたが、コロナが明けてから展示会が再開し、来場者に配布をしているとのことだった。
請求書の内容は、1000円のプリペイドカードを展示会1日につき100枚発注していた。それを毎回展示会があるごとに発注しているということだった。
プリペイドカードはどのように管理をしているのか確認したところ、アンケートに答えてくれた来場者に手渡していて、プリペイドカード自体は販促部の部長が持っていて、スタッフがその都度部長からもらってお客さまにお渡ししているとのことだった。
もしプリペイドカードが余ったらどうするのかを尋ねたら、「それはわかりません」ということだった。C部長は着任の挨拶も兼ねて販促部長に話を聞いた。
「あなたが新しい経理部長さん?よろしくね」
「よろしくお願いします。展示会、お忙しそうですね」
「ええ。全国各地に行かなきゃいけないから大変なんだけど、コロナ禍の事を考えたら、お客さまに直接会えるだけでも有難いよね」
「ところで、展示会の販促品として使われているプリペイドカードは、部長さんが管理されているんですか」
「ええ。それが何か?」
「展示会で余ったプリペイドカードはどうされてるんですか」
「どうって、余らないわよ」
「そうですか。スタッフの方に伺った話だとアンケートに答えた方にお配りしているようですが」
「まあ、基本はそうだけど」
「そうすると毎回1日につき100枚発注されているので、100人分アンケートを回収されているってことですか」
「ううん、既存の顔見知りのお客さまとかも展示会にいらっしゃるから、その方たちにはアンケートは頂かずに私から直接プリペイドカードをお渡ししていることも結構あるかな」
「じゃあそれで毎回全てお客さまに渡して手持ちの在庫はないということですね」
「そうそう、そういうこと」
「わかりました。今後ともよろしくお願いします」
「どうもー」
台風の日の展示会でも販促品を配りきった…?
その夜、Cさんは部下のAさんを連れて経理Barにいた。CさんはBarの常連客だった。
「C部長、私、経理Barなんて初めて知りました」
「ここのマスターは経理のことなら表も裏も何でも知っているんだよ」
「ちょっとやめてくださいよ。Cさんの新しい職場の方ですか。よろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします!ところでC部長、会社で話せない話って何ですか」
Cさんは、日中に販促部長と話したプリペイドカードの件についてAさんに話した。
「Aさんはどう思う?」
「実は、私もプリペイドカードがどうなっているのかなって気になっていたんです。前任の部長にも尋ねたことがあったんですけど、その時は『金額も大した金額じゃないし、何も問題ないんじゃない』と言われてしまったのでそれっきりだったんですが」
「どうして気になったの?」
「去年の夏、展示会の日に台風が直撃して中止にはならなかったんですけど、お客さんが全然来なかった、って販促部のスタッフが言っていた時があったんです。だからきっとたくさんプリペイドカードの在庫が余っただろうなと思っていたんです。でもその次の展示会の時も、やっぱり1日あたり100枚のプリペイドカードを販促部長が発注されていて。でも今おっしゃった話だと、毎回全部渡しきっているっておっしゃったんですよね。何かおかしいですよね」
「そこでね、Aさんにお願いがあるんだけど。役員には話を通してあるから」
Aさんは、C部長から今月都内で行われる3日間の展示会に「勉強」と称してスタッフとして参加をし、実際にプリペイドカードが渡されているか確認をして欲しいとの命を受けて参加をしたのだった。
余ったプリペイドカードの行方は…
1週間後、C部長とAさんが揃って経理Barに来店した。
「いらっしゃい。今日はお二人揃って」
「マスター。あの件、解決しました」
「ゆっくりお話し伺いましょう」
Aさんが3日間展示会の様子を見ていたところ、実際にお客さまにアンケートをとってプリペイドカードを渡していたのは、3日間合計で220枚とのことだった。
そして販促部長が言っていたように、既存のお客さまが部長に挨拶をする姿はたまに見かけたが、プリペイドカードを渡している姿はAさんが見ている限り10枚もなかったそうだ。
すると、今回の展示会では3日間×100枚で300枚の1000円相当のプリペイドカードを発注していたから、300枚―(220枚+10枚)=70枚のプリペイドカード(7万円相当)が販促部長のもとにあるはずだった。
そこでC部長は、販促部長の上司にあたる担当役員に報告と相談をし、3者面談を実施した。
「販促部長、展示会お疲れ様でした」
「いえいえ、仕事ですから。ところで話って何でしょうか」
「プリペイドカードのことなんですが」
「またそのこと?今回も全部配り終えましたよ」
「そうですか。アンケートにお答えになった方には220枚配っているとスタッフの方から伺っています。残り80枚は部長が全てお客さまに直接お配りになったと」
「……」
横で経理部長と販促部長とのやり取りを聞いていた役員が口を開いた
「君、正直に言いなさい」
販促部長によると、展示会で新規顧客の獲得が未達だったときはいつも役員たちから叱責され、その割には展示会に顔を覗かせる役員もおらず、自分だけに責任や負担を押し付けられているというストレスが溜まっていったそうだ。
プリペイドカードの管理に関しても、最初は正しく在庫管理をしていたそうだが、誰も何もそのことに触れないので、余った時は全て金券ショップで換金して自分へのご褒美としていたそうだ。
販促部長は社長室付へと異動となり、その後しばらくして自主退職をしていった。
「Aさん、今回はどうもありがとう」
「いえC部長、私も現場の人たちの大変さがわかりましたし勉強になりました。でも販促品の管理って、やっぱり大切ですよね。現場の人たちにとっては面倒かもしれませんが」
「そうだね。経理の仕事って、『面倒なことはわかっているけど、それでもちゃんとやりましょうよ』と導いていく仕事だという気が最近しているよ。マスターはどう思います?」
「おっしゃる通りだと思います」
3人で販促品の管理方法についてそれぞれアイデアを出し合いながら、夜は更けていった。
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