「経営者は孤独である」――よく聞くこの言葉が表すように、誰にも悩みを相談できず一人で抱え込んでしまうこともある経営者。
経営者のメンタルヘルスの不調は、組織全体に影響し、ときに事業の損失にもつながります。今回は、オンラインのカウンセリング事業や起業家へのメンタルヘルスサポート事業を展開するcotree代表の櫻本真理さんに、メンタルヘルスについて経営者が陥りやすい注意点や、自己管理のポイントをお聞きしました。
経営者の悩みの多くは、「人」に起因する
1982年生まれ、広島県出身。京都大学教育学部卒業後、ゴールドマン・サックス証券にて株式アナリストとして勤務。2014年に株式会社cotree(コトリー)を設立。オンラインカウンセリング「cotree」、経営者向けコーチング「escort(エスコート)」などを運営。2020年1月に、「チームを育てるリーダー」を育てるマンツーマンプログラムを運営する株式会社コーチェット(CoachEd)を設立。
Twitter:@marisakura
――cotreeの活動は、櫻本さん自身の経験がきっかけだと伺いました。
はい。証券会社に勤めていたころ、私自身が睡眠障害になりメンタルクリニックへ通った体験がきっかけです。仕事が忙しかったことと、当時起こったリーマンショックの影響によるストレスで、夜眠れない、仕事に対してやる気が出ないといった状態が続き、メンタルクリニックへ行きました。
ところが、クリニックでは1時間半ほど待った結果、2〜3分の診察で終了。そのまま「軽いうつ状態なので薬を3種類出しておきます。2週間後にまた来てください」という、まるで流れ作業のような診断を受けたんです。
メンタルヘルスの不調でクリニックに行くような人々は、そもそも生活が乱れているか、自分の価値観に沿ったことを適切なペースで行えていない状態です。だからこそクリニックに来ているのに、薬だけで治るとは思えませんでした。メンタル不調の根本的な原因を取り除かなければ何も解決されません。
欧米では、メンタルヘルスの不調に対して根本的な原因を明確にして思考・行動変容につなげるカウンセリングやコーチングという技法が非常によく使われています。しかし、日本ではまだまだ普及していないと感じていました。アプローチできる技法があるのに、あまり知られていない現状を変えたいと、2014年にcotreeを設立しました。
現在cotreeでは、オンラインカウンセリングサービスの他、起業家向けコーチングサービス「escort(エスコート)」を展開しています。
このサービスを通して分かったことは、経営者自身がコーチングスキルを身につけることが本人にとっても組織にとっても重要だということ。それで2020年1月に、リーダー自身がコーチングスキルを身につけられる事業を行うグループ会社コーチェット(CoachEd)を立ち上げました。
――経営者からの悩みには、どのようなものがありますか?
起業家や経営者から寄せられる悩みの多くは「お金」と「人」に関するものです。ですが、お金の悩みも突き詰めたら、人間関係の課題であることがほとんど。
例えば「事業がうまくいっていない」という悩みも、話をよく聞いたら社長が部下を信頼しておらず仕事を任せていない、あるいは経営者の能力が事業の蓋になってしまっている……という背景が浮かび上がってくる場合があります。
このように経営者が周囲に任せきれず仕事も悩みも一人で抱え込むと、事業もスケールできずに成果も上がらず、それが経営者のメンタルヘルスの不調につながる……という悪循環が生まれます。
――どのような背景から人間関係の悩みを抱えやすいのでしょうか?
要因の1つとして、経営者という立場から、悩みを周囲に打ち明けられずに抱えこみがちになる傾向があると思います。
その理由は大きく2つあります。1つ目は周囲に弱みを見せられないことです。「経営者だからこそ、自分が悩んでいることは従業員に見せてはいけない」と思っている人って、少なくないんですよ。背中を見せないといけない、強くないといけない、自身が悩んで従業員を不安にさせてはいけないと考え、困りごとを打ち明けられずに抱え込んでしまうケースがあります。
2つ目が「話しても分かってくれないんじゃないか」と思っていること。事業の成長、売上や資金調達、人員配置など、経営者ならではの悩みや考えごとは、「経営者にしか分からないし、言ったところで解決しない」と考えている人も多いです。
――悩みの抱え込みやすさや種類は、会社の規模によって変わるのでしょうか?
規模に関わらず、部下がいて人を育てないといけない立場にある人たちは、同様に悩みを抱えやすいと思いますね。
ただ、中小企業やスタートアップの場合は、その規模感やスピード感特有の悩みが生まれやすいと思います。社員数が少ないがゆえに、例えば、経営者自身がプロダクトを作りながらマネジメントもする……といった、対応力や器用さも求められてくるからです。
特に猛スピードで変化するベンチャーやスタートアップの経営者は、周囲の環境が変化していく中で自身の担う役割や立場も変化していきます。創業当初はプレイヤーでいられたけれど、新たな社員を迎えるとマネジメントも必要になる。そういった変化の中でメンバーとの適切な関わり方が見えなくなり、悩んでしまう人も多いですね。
「なんでみんな、そんなにモチベーションが低いんだ」と悩むのも、よくあることです。愚痴る相手がいればいいけれど、事業が低調であるほど、周囲にそれを悟られるのが嫌で話せなくなったり、忙しくてなかなか人と会えなくなったりしてしまうこともあります。
経営者の不調は、事業の損失や組織全体の不調につながる
――経営者がメンタルヘルスの不調を抱えている場合、組織にはどのような影響がありますか?
メンタルヘルスが不調だと、意思決定力や思考能力が低下してしまいます。その結果、適切な判断ができずに事業の成長が妨げられる恐れが考えられます。
また、経営者自身のメンタルヘルスが整っておらず、意思決定力や思考力が低下している状態は、どこに行くかわからない舟を漕いでいるのと同じです。行き先不明の舟では、従業員も不安になってしまいます。
さらに、「感情」は周囲の人に伝搬するものです。経営者やリーダーの機嫌が悪かったり落ち込んでいたりすると、周囲もその空気を感じ取って不安になるし、元気がなくなってしまいます。
メンタルヘルスの問題は、欠勤が増えるなど心身的に業務が行えなくなっている状態で初めて課題として捉えられる場合が多いです。しかし、本当はそれ以前に、出勤しているけれどもなんとなくやる気が出ず、生産性が低下してしまうという状態が発生しています。
欠勤や休職、遅刻や早退の増加など、職場にいられず業務に就けない状態を「アブセンティズム(absenteeism)」、出勤しているにも関わらず、心身の健康上の理由により十分なパフォーマンスが上げられない状態を「プレゼンティズム(presenteeism)」と言います。
アブセンティズム(absenteeism):
欠勤や休職、遅刻や早退の増加など、職場にいられず業務に就けない状態
プレゼンティズム(presenteeism):
出勤しているにも関わらず、心身の健康上の理由により十分なパフォーマンスが上げられない状態
一見会社にとっては、アブセンティズムのほうが損失のように思えますが、現代ではプレゼンティズムの影響力のほうが圧倒的に大きいと言われています。それだけ、なんらかの理由で十分なパフォーマンスを上げられていない人が多いんです。
プレゼンティズムを招く大きな要因が、メンタル面の調子の低下。なんとなく職場の雰囲気が悪いなどの環境では陥りやすくなります。そのような環境を防ぐためにも、経営者自身がメンタル不調を理解して予防し、周囲との関わり方を学ぶことはとても重要ですね。
自己管理として日々意識すべきは「睡眠」と「感情」
――日頃から経営者がメンタルヘルスを管理するためには、どのようなことを意識すればいいですか?
自己管理としては、まず睡眠をしっかりと取ることです。眠れないと脳の機能は低下し、身体的、精神的に悪影響を受けます。「仕事が忙しいから睡眠時間を削らないと……」と考える人もいるかもしれませんが、睡眠は生産性を上げるために必要な活動です。パフォーマンスを向上させるための投資だと考えましょう。
あとは、自身の感情や心身の変化を知ることも大切です。「昨日と比べて調子が悪い。何か原因がありそうかな?」と思ったとき、例えば「昨日のあの出来事が悲しいんだ」や、「昨日の睡眠不足が身体に影響している」など、原因を考えて次のアクションにつなげている人は、自己理解が深くメンタルヘルスの管理がうまいですね。
反対に、感情を抑圧する人はメンタルヘルスの不調を起こしやすい傾向があります。感情表現が少ない完璧主義のリーダーほど自身の感情を把握せず、気がついたときにはメンタルヘルスの不調に陥っているケースが多いです。
「悲しい」「苦しい」「しんどい」といったネガティブな感情は見ないようにフタをしがちですよね。しかし、ネガティブなものも含めて自身の感情を知ろうとしないと、自分が何を感じているのか分からなくなってしまいます。
自身の感情にその場で気がつかなければ、知らず知らずのうちに負の感情が蓄積されてしまうんです。蓄積され続けると、あるとき急にそのストレスが爆発し、睡眠障害やうつ病へとつながってしまいます。痛みは危険を知らせるシグナルです。心の痛みを無視していたら、より大きな危機を回避できなくなる可能性があります。
感情は誰しもが持っているもの。ネガティブな感情を抱くことも、悪いことではありません。「こういうふうに思ってはいけない」と、自分の気持ちにフタをせずに、感情の起伏を知ることが大切です。
――どのようにしたら、自身の感情にうまく気がつけるでしょうか?
例えば、一日の終わりに簡単な記録をつけるといいと思います。その日あったことやそのときの感情を振り返ることで、どういったときに嬉しくなるのか、反対にどういったときに落ち込むのか、自身の傾向に気づくきっかけになります。
また、コーチングやカウンセリングを受けることも一つの方法です。誰かに話すことで、自身の現状を整理したり気づいたりできます。カウンセリングは調子が悪くなった人が使うものというイメージを抱いている方もいますが、メンテナンスとして活用してもいいものなんですよ。
ただし、どうしたら適切な睡眠を取れるかや、どうしたら自身の感情に気がついて抱え込むことなく適切に解消できるかなどは一人ひとり違います。自分の体調に敏感になったり、感情が変化する瞬間に気づけるようになったりすると、何をすれば調子がよくなるか気がつけるはずです。
書店やネットではいろいろなノウハウが出ていますが、すべてケース・バイ・ケース。あくまで参考として、その中でも自身にあった方法を探すのがいいと思います。
コーチング的な関わりが、組織と経営者のメンタル不調を防ぐ
――自身の感情を知り、悩みや感情を抱え込まずに表現するには「安心」できる環境が必要ではないかと思います。
そうですね。実際に、「効果的なチームとは何か」というGoogle社の調査結果で、チームの効果性に影響する重要な因子として「心理的安全性」が挙げられ、話題になりました。
「心理的安全性」を維持することは、逆に言えばチームにおける「不安」を解消すること。そのために一番大切なのは、人間関係における不安をなくすことです。
チーム内で互いに「この人たちには何を言っても大丈夫だ」と感じられることが重要です。「これを言ったら怒られるのではないか」「評価が下がるのではないか」という不安を持たず、お互いに対話ができてリスクが取れる関係性を作ることで、自由な発想や取り組みが起こりやすくなります。
続いて大切なのが、一貫性。「これを言ったらどうなるか分からない」というような、一貫性がないコミュニケーションや事業は不安を増幅させてしまいます。リーダーの言動や事業に一貫性があれば、周囲は安心しやすくなります。
最後が、適切な目標設定。目標は高すぎてもプレッシャーになり、急や不安が生まれてしまいます。やる気が出て前向きになれるけれど、無茶はしなくてもいい適切なゴール設定が安心する環境作りには必須です。環境を整えて、自分を大切にすることが、メンタルヘルスの不調を防ぐ一歩だと思います。
――チームにとって心理的に安全な環境を作ることが、結果的に経営者自身も人間関係の悩みを抱え込まずに済むことにつながるんですね。
最初に話したように、経営者のメンタルヘルスの問題の多くは、もとをたどれば「人」に由来しています。経営者が従業員と良好な関係を築き、自身で抱え込みすぎないように周囲を頼って権限を委譲したり力を借りたりできれば、改善していく場合が多いです。
そのためにも、経営者自身が周囲とコーチング的な関わりができるスキルを身につけることが大切だと考えています。
コーチングは対話の技術。相手に答えを与えるのではなく、問いと対話を通して気づきを与えます。コーチング的な関わり方ができれば、相手の考えや可能性を引き出すコミュニケーションが生まれ、安心感を与えながら成長につなげることができます。
コーチングを行うには「自己理解」「他者理解」「ストレスマネジメント」「コーチングスキル」の4軸が必要です。だから、周囲に対してコーチング的な関わりができる人は、自身に対しても同じように問いをかけて考えることで自己理解や自身のストレスマネジメントが進み、自己管理もうまくなるんですよ。
――最後に、経営者のメンタルヘルスケアについて櫻本さんが目指すものを教えてください。
経営者をはじめ、周囲とコーチング的な関わりができる、つまりメンバーを育てることができるリーダーを増やし、社会からメンタルヘルスの不調を減らしていきたいですね。
リーダーとなる人たちが心理的安全性を維持し、その人自身の個性も活かしながら人を育てることができれば、リーダー個人においても、チーム全体においても、メンタルヘルスの問題を防げると考えています。そうして、困ったときだけ専門家に頼るのではなく、普段から周囲の人を大切にして生かす関わりをできる人が増えたら、そもそもメンタルヘルスの問題が生じることもなく、もっとみんなが生きやすい世界になるのではないでしょうか。
(取材・文:田中さやか、編集:東京通信社)
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