謎のアナログルール
「うちの会社、なんかおかしくない?」
「そうそう、謎のルールが多すぎ」
カウンターで若手社員のAさんとBさんが話し込んでいる。と言っても、深刻な感じではなさそうだ。二人はこのBarの近くにある会社に去年入社した同期。Aさんは経理、Bさんは営業だが、たまに帰宅するタイミングが一緒だと、一杯やろうということで経理Barに立ち寄っている。
「ねえマスター、マスターが会社員だった時代って何か変な職場のルールってありました?」
「変なルール…。あったと言えばあったけれど、まあ、社会に出たらそんなものかなと思っていた時代だからねえ。お二人は何かあるんですか?」
「ありますよ。私は営業なんですけど、直行直帰が禁止の会社なんです。だから朝、自宅から直接行けば30分で着く営業先があっても、わざわざ反対方面の本社に一旦30分かけて出社して、数分だけの朝礼を終えたら、改めてまた1時間かけて営業先に行ってるんです。同じように夕方営業先から本社に戻る途中に自宅がある時も、そこを通過して一旦本社に戻って、それでまた改めて自宅に帰るんです。無駄じゃないですか?そんなことをする意味ってどこにあるんですかね」
「まあ、社長さんの経営方針や考え方にもよりますよね…。あ、直行直帰と言われて思い出しましたよ。変なルール」
「何ですか、マスター」
「急病で当日病欠をしたい時は、たとえ高熱があっても、必ず一度会社に出社をして『病欠します』と申請書を出して、それで帰宅して休むっていうルールがありました」
「何ですかそれ!」
「ひどい。そもそも病欠の意味ないじゃないですか。申請書出すために結局出社しているし」
「そうなんです。それを当時職場の先輩から聞いて、『そもそも何でそんなルールがあるんですか』って聞いたら、その数年前に、ある社員が仮病で病欠をしたことがあって、それからこういうルールに変わったんだって言っていました」
「たった一人のせいでですか?昔の会社って大変だったんですね」
「いや、当時もそこまで厳しいルールの会社はあまりなかったと思いますけど、『会社に歴史あり』で、外部の人たちから見たら変なルールに思えても、それが必然として発生するものも多いですよね。実際に高熱を出しながら休暇届けを出しに来た先輩を見た時は、可哀そうでした」
「可哀そうだし、社員をそこまで信じられないなんて、なんか会社として切ないですよね」
信用や信頼は一日にして成らず
「本当…。あ、でもBだってさ、この間、エンジニアのCさんが腰痛でしょっちゅう休むけど、あれって本当かどうか調べようがないよねって言ってたじゃん」
「あっ、そうだった。いや、だってあれはおかしいっていうか、周りのエンジニア仲間の人たちがそう言ってたんだもん」
「なんて言ってたの?」
「『私たちエンジニアは、座り仕事で長時間集中する作業が多いから腰痛持ちになる人も多いけど、ちゃんと治療に行っている人と、行っていない人と二通りいるよ』って言ってた」
「そっか。別職種の人間にはわかりづらいけど、いわゆる同業者はわかるってやつだ」
「そう。だから人事の人たちにも平等にきちんと判断して欲しいって言ってた」
「まあね。熱とか咳とか骨折みたいに、明らかにわかるものはいいんだけど、腰痛って、外見ではわからないからね。マスターはどう思います?」
「おっしゃることはよくわかります。でもきっと、本質は腰痛かどうかではなくて、普段からその人がどのように働いていて、どのように周囲とコミュニケーションをとっているかじゃないですか」
「どういうことですか?」
「普段からその人が一生懸命仕事をしていたり、周囲の人たちのサポートをしたりしているような人だったら、その人が『腰痛がひどくて電車に乗れないので休みたい、自宅から仕事をしたい』と言えば、周囲の人は『いいよいいよ、ゆっくり休んで』って言うんじゃないですか。逆に、普段からふらふらと、腰痛持ちとは思えない足取りで歩きまわっていて、周囲の人たちが困っていても我関せずという人が同じことを言ったら『え?昨日あれだけはしゃいでいたのに?』って思うんじゃないでしょうかね」
「たしかにマスターの言う通りかも」
「でも、なんだかいやですよね。お互いを信じられない職場なんて」
チェック機能は必要だが、それが監視になると人のモチベーションは下がる
「たださ、経理の数字もそうだけど、職場って間違いや不正もやっぱりあるから、そういう意味では何でもかんでもノーチェックよりは、ある程度のチェック機能は会社として必要だとは思うよ」
「そうだね。じゃあ営業が直行直帰できないのは、やっぱり社長から信用されていないということなのかな」
「どうなんだろう。社長も営業出身だからさ、きっと会社員時代に同僚が『直行直帰します』と言ってさぼって遊んでいたのを見たことがあったのかな。マスターはどう思います?」
「そうですね。御社の社長さんは、会社員時代は営業成績がとても良かったから独立起業できたんだと思うんです。そういう方は要領が良いので、その社長さん自体が、かつてご自身が会社員だった時に、早々に月初にノルマを達成したら直行直帰すると言ってゆっくり息抜きをされていたのかもしれないですね」
「え、そうなんですか!」
「人って、自分がやっていたことを他人もするんじゃないかって考える習性があると思うんです。だから、直行直帰を認めてしまうと、かつての自分ように優秀な営業社員ほどノルマを達成したら息抜きをしてしまって、それ以上売上が伸びないと思って直行直帰を禁止しているのかもしれませんよ」
「それはありうるかも」
「だからか…」
「何が?」
「売上請求書の発行管理をクラウド化しようと思って、経理からこれまで何度も社長に提案しているんだけど、『そんなことをして自宅でも売上請求書を作れるようになったら営業が甘えるから必要ない!』っていつも却下されてるんだけど、全然意味がわからなかったんだよ。だって自宅でも売上請求書を作れる環境って、助かることはあっても甘えにつながるなんてことないじゃない?だけど今マスターから話を聞いて、つまりこれを導入すると、それをきっかけに営業ツールなどもどんどんクラウド化して自宅でも営業社員が作業できるようになると、ますます営業社員が直行直帰するのを認めざるを得ない環境になっていくから、それだと社員を監視できないから社長は嫌がっているのかなって」
「きっとそうだよ。今はどんなに遅い時間になっても一旦本社に帰って、アナログ作業で売上請求書を作らないといけないルールだから。マスター、何かいい方法はないですかね」
「わかりました。今度、社長さんもこの店に連れていらしてください」
社長の本心
翌週、二人に連れられて社長が来店した。二人は別のテーブルで他の常連客と談笑している。
「そうですか…。マスター、うちの社員たちの話を聞いてくださってありがとうございます。私は腰痛どころか風邪もめったに引かないものですから、社員たちがそういうことでモヤモヤしていたなんて気にも留めていませんでした。病欠の時は自己申告をそのまま受け入れて、疑ってもいませんでした」
「いえいえ、仮病で休んだことがない人は、皆、社長と同じだと思いますよ。病気だと言っている人のことを最初から疑いにかかるというのも、人としてどうかと思うじゃないですか」
「ええ、まあ」
「だけど自分が気になってしまうところというのは、とことん監視や管理をしてしまうこともあるんですよね。それが非効率なことだと頭ではわかっていても」
「そうですね。私もアナログが大好きというか、やっぱり安心するんです。社長として。朝は皆が眠い顔をしながらもちゃんと朝礼に出社してくれるのを見て、そして夜は営業先から疲れた顔をして本社に戻ってくる姿を見て、『自分は社長なんだから皆を支えなきゃ』と気合が入るし、今日も皆頑張ってくれていたんだなってほっとするんです」
「そうだったんですね。それは大変失礼しました」
「何がですか?」
「私はあのお二人から直行直帰は禁止なんだということを伺った時に、社長がきっと会社員時代にノルマをすぐ達成してしまうものだから、直行直帰しますと言って遊んでいたから禁止にしているんじゃないかって二人に言ってしまいました」
「はは!いやいや、外れてはいないです。たしかに会社員時代はノルマを達成したらよく暇つぶしをしていました。だって同僚の2倍受注してもインセンティブがほんの少しだったんですよ。だったら月初にさっさと稼いじゃって残りは遊んだほうがいいなって思っていたんですけど、このままではダメな人間になるなと思って、それだったら独立して思いきり稼ごうと思ったんです。でも、実際にいざ社長になったら、会社員時代とは組織を見る視点というのは変わるものですね。さぼるかさぼらないかということより、しょっちゅう直行直帰されて顔もろくにお互い合わせないような環境だと、なんだか自分のモチベーションが下がってしまう気がして」
「そうですね。ただ、経営をされるお立場として、ご自身のモチベーションだけでなく、社員のモチベーションや会社としての生産性もご一緒に考えられたほうが、より社員の方たちも頑張れると思いますよ」
生産性を上げて全社的なモチベーションも上げる
その後、一カ月ほどして再び来店した社員の二人の話によると、社内体制が見直され、今は事前申請をすれば直行直帰がOKになったそうだ。
さらに、売上請求書を作成、管理するクラウドのソフトウェアも導入がなされ、営業社員は自宅や営業先ですぐ請求書を作れるようになり、日々の最新の売上データの集計作業や月次決算作業の早期化にもつながったそうだ。
社長も自宅や出張先で経営分析ができるようになり、もっと早く導入すべきだったと言って、今は営業ツールの導入もトライアル段階だが実施しているらしい。
「でも嬉しかったです。直行直帰を禁止にしていたのは、社長は私たちのことをちゃんと仕事をしているか疑っていたんじゃなくて、私たちの顔を見ることが社長のモチベーションになっていたんだということがわかって」
「うん。それだったら、直行直帰できても、わざわざ社長に顔を見せに出社してあげてもいいよね。社長も最初からそう言ってくれればいいのに」
「すごい上から目線。社長に言いつけよう。社長だってさ、見たい顔と見たくない顔があると思うんだ」
「ちょっとどういうことそれ!あ、そう言えば、そもそもマスターが言い出したんですよ。社長が自分たちのことを信用していないから直行直帰を禁止しているんじゃないかって」
「そんなこと言いましたっけ?忘れました」
「ちょっと、みんなひどい!」
一同笑いながら、他にはどんなクラウドのツールがあるだろうかと話しながら夜は更けていった。
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