経理Bar~アナログで起こる不正、デジタルでも起こる不正~<Episode7:パワーカップルの経費精算>

読了まで約 11

今の時代は情報が溢れすぎて、どの情報が本物でどの情報が偽物なのか、それを選別する能力が問われます。

不正についても同様です。あらゆる情報をもとに、それが不正なのか、それとも不正でないのかを見極める必要があります。

今日の話もそのような一筋縄ではいかないお話です。

謎の一致

開店からしばらくして、近くで働いている常連のAさんが、知り合いを連れて来店した。

「こんばんは。マスター、こちら会社の同期のBちゃんです。今日はこの子の相談に乗ってもらいたくて連れてきたんですけど、時間がある時ちょっといいですか」

「いらっしゃい。まだそんなに混んでないから大丈夫ですよ。まあ二人とも座って」

差し出された飲み物を一口飲んでから、Aは本題を切り出した。

「Bちゃんは経理部にいるんですけど、私がいつも見ているSNSサイトを教えてあげたら、『何かおかしい』って言い出して。マスターなら何かBちゃんにアドバイスしてもらえるかなと思って」

「いいですよ。で、そのSNSっていうのは…」

これです、とAが差し出したスマートフォンの画面を覗くと、そこには『パワーカップルのパワーランチ』というアカウント名で、世帯年収1000万円以上のパワーカップルの夫婦が、毎週お薦めのランチを紹介する記事が掲載されていた。

記事には本人達の画像はなく、料理の写真と文章で構成されていた。自己紹介欄には「私たちパワーカップルがご近所のパワーランチをご紹介します」「仕事で忙しい妻に代わって愛妻家の私が更新しています」とも書いてあった。

「ふーん…。どの店もこの駅の周辺ですね。これのどこがおかしいと思ったんですか?」

「私は全然おかしいとは思わなくて、うちの会社の近くでランチを探す時に便利だなと思ってBちゃんにこのサイトを教えてあげたんです。そうしたらBちゃんが…」

Aに促されてBが口を開いた

「このSNSをAちゃんから教えてもらってお店の紹介記事を見ているうちに、何か見覚えがあるラインナップだなと思ったんです。何だったかなと記憶をたどっていったら、役員の経費精算の領収書の中に、ここで紹介されているお店と同じお店の領収書がたくさん申請されていたのを思い出して。日付も確認したら経費精算の申請時期とこのアカウントで紹介されている時期もだいたい一緒なんです」

不正の可能性がありつつも、なぜか残る違和感

「よくそんな細かい領収書やお店のことまで覚えていましたね」

「社員や役員の方達が接待で使うお店ってどんなお店なんだろうって、領収書に書いてあるお店の名前を検索してチェックするのが好きで、その役員の方はニューオープンのお店をよく利用していたので、覚えていたんです」

「つまり、その役員が夫婦の私用のランチ代を経費精算として申請しているのではないかと」

「いえ、普段なら私もそれを疑うんですけど、その役員がどうしてもそんなことをするような人には見えなくて」

「それでもやもやしている、と」

「はい」

「Aさんから見ても、その役員は不正をしなさそうですか」

「もちろんです。私が担当しているオウンドメディアでの社員紹介のコーナーでお話をしたことがあるんですけど、仕事もできるし皆にも優しいし、何よりその人が不正をする理由がない気がするんですよね。去年から役員になって大活躍しているし。でもBちゃんはそれでもやっぱり気になるって。マスター、ここまでの話で何か気になったことありますか」

「その役員の方のことはよくわからないけど、少なくともこのアカウントはちょっと特徴がありますよね。まずパッと見たところ、ここで紹介されているお店って、夫婦で好きなものを食べに行くっていうより、会社の接待で使うような落ち着いた雰囲気のお店が多い気がしますね。『パワーカップルのパワーランチ』なら、もっと、トマホークステーキみたいな肉に直接かぶりつくみたいなお店があってもいい気がするけど、どの店もプライベートで使うには上品過ぎる感じがします。それに、この『愛妻家』っていうのが気になりますね」

「そこですか!」Aは呆れて言った。

「いやいや、だって変じゃないですか?愛妻家って、他人が『○○さんって本当に愛妻家ですね』っていう時に使う言葉でしょ。家族だから妻を愛するのは当たり前の話で、自己紹介でわざわざ『私は愛妻家です』って言うのって…。それって私が『私は不正をしない正直者のオーナーです』と、経理BarのSNSアカウントで自己紹介するのと同じでしょ、信じますか?」

「信じない!むしろ疑う!」

Aが間髪なく言ったので入店してからずっと曇り顔だったBも思わず笑った。

「でしょう。本当に愛妻家だったら、料理と奥さんをセットで撮影すると思うんですよね。奥さんのことが大好きなんだから。奥さんが顔出ししたくないと言えば、奥さんの顔の部分だけ加工してアイコンで隠して掲載したっていいわけですから」

「確かに…」

「愛妻家っていうよりは、『愛妻家な僕』って素敵でしょ、っていう感じを受けるかな」

「なるほど…」

「とにかくBさんの話を聞く限りでは、真実が何であれ、私はその役員の方の経費精算の内容とこの写真は一致していると思うから、このアカウントのことを直接その役員の方に聞いてみるしかないんじゃないですか?」

「そうですよね。でもどうやって…」Bが言うと

「ここは私に任せて!」とAが胸を張った。

「パワーカップル」の真実

翌週、経理Barには、AとB、そして役員のCさんが来店した。

「雰囲気がいい店ね、Aさん」

Cが笑顔で言うと

「ありがとうございます!リラックスできる場所がいいかなと思いまして。今日はとことん相談させて頂きます!」

Aは、業務の一環である会社の非財務情報の開示をこれから充実していくためにどうしたらいいか、女性初の役員であるCにざっくばらんに相談に乗って欲しい、とお願いをし、一般社員代表としてBも参加ということで二人を経理Barに誘い出したのだ。

女性の役員や管理職比率をさらに伸ばすにはどうしたらいいかといった仕事の話を先に終えて一息ついた後、いよいよ「あの話」をAが切り出した。

「あ、そういえばCさん、このSNSアカウント知ってます?このあたりのランチ情報がたくさん載っていて、接待に使えるお店もいっぱいあるのでCさんにもお勧めですよ」

どれどれ、とAが示すスマートフォンの画面を見た瞬間、Cの顔が曇ったのは一目瞭然だった。それに気づかないふりをしたまま、Aは続けた。

「それにしても羨ましいですよね。こんなに美味しいものをいつも食べられて、しかも『愛妻家』って。私もこんな生活してみたい…」と言いかけたのを遮って、

「ごめんなさい!でも違うの。聞いて!」とCが言った。

「違うって…」

「ここに呼び出した本当の理由は、私がこのアカウントの主で、夫婦で食べたランチ代を接待だと嘘をついて会社に経費申請していると思ったからでしょう。だから経理部のBさんも同席しているんでしょう」

「いえ、私たちはそんなつもりでは…」

「もういいの。もう限界だったから。本当のことを話すわね」

Cが言うには、このSNSアカウントは確かに夫のDさんが管理運営しているそうだが、夫婦でランチなどには行っていなかったそうだ。

「え…。どういうことですか。じゃあ、この料理の写真は?」

「これは、私が本当に接待でランチミーティングをしている最中に撮影したものを後から夫に送っていたの」

「ということは、それをご主人が編集して、さも夫婦でランチをしてきましたみたいな記事にして更新していたってことですか」

「そう…」

「でも、なぜわざわざそんなことを?」

「私が去年役員に昇格して昇給もして、少し生活にも余裕ができて安心していたら、夫が突然『夢を追いかけたい』と言いだして会社を辞めてフリーランスになってしまって。それで彼なりにいろいろやっていたんだけど、フリーランスなんてそんな甘い世界じゃないでしょう?結局、どれもうまくいかなくて。そんな時に、コロナが落ち着いてきて私も対面の接待の機会が復活してランチミーティングに出かけるようになって。そこであるランチの時に久しぶりの再会だから皆で写真を撮りましょう、と、集合写真や料理の写真を撮ったの。それを帰宅して夫に見せたら、何か閃いた様子で、これからランチミーティングの時の料理の写真を撮って送って、と言われて。その夜に『これどうかな?』って今のSNSのテスト版を見せられて。」

「それが『パワーカップルのパワーランチ』ですか」

「ええ。写真は料理だけ載せて、毎週ちょっと高めの値段のランチを、顔が見えないパワーカップルが紹介したら固定ファンがついて何かのビジネスにつながるんじゃないかって」

「それで接待のたびにCさんが料理の写真を撮影してご主人に送って、御主人が編集して、さもカップルが毎週美味しいものを食べ歩いているみたいなSNSに見せていたんですね」

「ええ。何がパワーカップルだ、って話よね…」

自称「愛妻家」の本性

複雑な話だが、Bはようやく頭と気持ちの理解が追い付いて胸をなでおろした。

「ということは、Cさんの経費申請自体は不正ではなく本物の申請内容で、こっちのSNSが偽物だということでいいんですよね。よかったあ。てっきり逆だと」

「普通そう思うわよね。本当にごめんなさい。この辺のエリアのお店ばかりだから、Aさんのように、いつか社内でこのアカウントを見つけてしまう人がいるんじゃないかってずっと気が気じゃなくて。でも今日二人に正直に話せてほっとしたわ。今日帰宅したらすぐ夫に言ってSNSをやめさせるわ」

「そのほうがいいですね。でもまだ一つ疑問があるんですけど。ランチミーティングっていっても接待ですから偉い方も目の前にいるわけじゃないですか。そんな中で毎回料理の写真を撮るのって大変だったと思うんですけど…」

「それは…。私も同じことを夫に言ったんだけど『そんなの、今日のランチミーティングの様子を社長にも送りたいので一緒にお写真いいですか、って皆の写真を撮るついでに料理の写真も撮っちゃえばいいじゃん』って」

「え…」

AとBは思わず目を合わせた。Cさんは続けた。

「そんなの無理だって言ったんだけど、『夫がこんなにお願いしているのにどうして妻として協力してくれないんだ!』って逆ギレされてしまって」

AとBは、マスターの「自分で愛妻家って言うのは何かおかしい」の意味をようやく理解した。

Aは怒りを抑えながら

「ひどい…。でもそうしたら、このSNSを辞めてるようになんて言ったらもっと怒るんじゃないですか。大丈夫ですか」と聞いたが

「それは大丈夫」とCは力なく笑った。

「でも…」

「夫婦だからわかるのよ。あの人はもともと気が小さい人だから」

翌朝、Cの言うとおり、『パワーカップルのパワーランチ』のアカウントは跡形もなく削除されていた。

AとBが後日Cから報告を受けた話によると、Cが帰宅した後、ご主人に、SNSアカウントを経理部が見つけて、夫婦で私的に利用したランチ代を経費申請して横領しているのではないかと疑われたことを話し、誤解は解けたが他の社員が勘違いしないようアカウントを削除して欲しい、とお願いされたことを伝えたそうだ。

ご主人は慌てふためいて「君に今会社を辞められたら、生活費も困窮するし僕は夢を追いかけられなくなる」と、速攻でアカウントを削除したそうだ。そして「君はクビにならないんだよね、大丈夫だよね」と、そればかり尋ねてきたそうである。

デジタル化によって生まれた時間をチェックの時間に充てる

「何が『愛妻家』だよ。ふざけんな!」

泥酔したAが叫んでいるのを介抱しながら、Bはマスターに話しかけた。

「先日はいろいろとありがとうございました。マスターの言うとおり、『自称愛妻家』って、怖いですね」

「いやいや、あれは冗談で、自称愛妻家でも良い人はたくさんいると思いますよ。でも、今回は良かったけど、逆に言えば夫婦でランチをした私的な領収書を経費申請して横領できてしまう可能性もあるってことだよね」

「そうですね。特に今はコロナ後で10割出社でない会社もありますから、本当にランチミーティングしているかどうかって周囲の人達も目視で確認できない場合もありますからね」

「でも、Cさんが不正をしていなくて良かったね」

「はい。本当に良かったです」

「経理もデジタル化をして時間に余裕ができたら、その分チェックに時間をかけて不正が発生しないような体制を作れるといいよね」

「本当にそう思います」

寝落ちしてしまったAを横に、マスターとBは遅くまで経理の将来とデジタル化について話が弾んだ。

※掲載している情報は記事更新時点のものです。

※本サイトは、法律的またはその他のアドバイスの提供を目的としたものではありません。当社は本サイトの記載内容(テンプレートを含む)の正確性、妥当性の確保に努めておりますが、ご利用にあたっては、個別の事情を適宜専門家にご相談していただくなど、ご自身の判断でご利用ください。