経理Bar~アナログで起こる不正、デジタルでも起こる不正~

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プロローグ

私がこの「経理Bar」を開店して10年が経った。正式な店名は別にあるのだが、お客たちがいつからかこの店を「経理Bar」と呼ぶようになったのでそれもいいかと思っている。

Barは学生街とビジネス街、そして昭和からの中小企業の工場も混在する駅の路地裏に佇んでいる。客層はさまざまだが、やはり近隣の会社員や経営者層が中心だ。

実は昼間は同じ場所で経営コンサルタントの事務所を開いている。

もともとは脱サラして経営相談の事務所を開くために事務所を探していたのだが、Barの居抜き物件を見つけて、「コンサルタントは人の話を聞く仕事だから、Barカウンターで話を聞くのもいいかな」と思い、昼間は事務所、夜はBarとして使っている。

といっても大した線引きはないので、夕方相談しに来たお客さんがそのまま夜まで居残ることもあれば、Barに来たお客さんが後日改めて昼間に仕事の相談に来ることもある。

さまざまな相談があるが、よく上がる話題の一つといえば「不正」だ。これまでお客さんから聞いて印象に残った職場の「不正」についてのエピソードをいくつか振り返っていこうと思う。

<Episode1:経理社員に寝首をかかれる>

その人物はマスターの仕事が一段落するのを見計らって声をかけた。

「ねえマスター聞いてよ。うちの経理社員が不正しやがってさ、もうショックだよ」。

「でもまあ、A社長の会社だったら、自分も不正しちゃうかもな」。

「なんでだよ!」

「だってA社長、経理のこと、いつも馬鹿にしてたから」。

仕事は経費精算だけ

A社長の経営する会社は、高額な教育商材を販売しており、従業員50人のうち40人は営業社員という典型的な営業会社である。A社長も新卒で入社した会社で鍛えられ、数年で営業トップに上り詰め、30代で独立をした。

ただ、売上を稼ぐのは得意だが、細かいお金の管理が苦手で、管理部門のアドバイスをして欲しいと言われ、以前A社長の会社に伺ったことがあった。

社員一人ひとりにどのような業務をしているかをヒアリングしていき、経理社員のBさんの番になった。

業務について話を聞きたいとBさんに声をかけると「あの、私、やることがたくさんあって忙しいので手短にお願いできますか」と、姿勢は変えずに顔だけこちらを見やり、キッと威嚇をされた。そのようことは慣れているので気にせず私はヒアリングを続けた。

「忙しいところすみません。じゃあ手短に。Bさんはどのようなお仕事をされているんですか」

「経費精算をしています」

「はい、経費精算。その他には?」

「それだけです」

「え?」

「だ、か、ら、経費精算です。経費精算って意味わかりますか?」

「はい。お気遣いありがとうございます。ただ、さっき、いろいろやることがあるとおっしゃっていたので、経費精算以外に何があるのかをお伺いしたかったんですけど」

「経費精算だけでいろいろやることがあるんです。
まず営業社員が外出から戻ってくると、すぐ私に『はいこれ領収書』って渡してさっさといなくなってしまうんです。親切な人は『この領収書はX社との打ち合わせに使ったカフェ代だよ』って教えてくれるんですけど、そうでない人は無言で渡して去っていく人もいて、これは何ですかって追いかけて聞くと『そんなの、俺のスケジュールを見ればわかるだろう、それくらい勘働かせろよ』と捨て台詞を吐いていく人もいるし、私が離席している時に戻ってきたらポツンと領収書だけが突然置いてあることもあるので、それを全員に『この領収書は誰のですか』と聞いて回ることもあります。
私が不在の時は内容を記載した付箋を領収書に貼ってください!と何度お願いしても全然言うことを聞いてくれないし、社長に言っても『まあ、営業っていうのはやんちゃだからな』と、笑ってまともに取り合ってくれないですから。本当にそれだけでも大変なんです」。

きっと、Bさんの悩みをまともに聞いてくれる人はこれまで社内に誰もいなかったのだろう。気付けばBさんは姿勢もちゃんと私のほうに向き直して、熱心に力説していた。

「確かに忙しいですね。それで?」

「それで、今度は領収書を全部社員ごとに台紙にのり貼りをして、会計ソフトに仕訳入力をしていると、気づいたら1日終わってしまうんです」。

確かにそういうやり方をしていればすぐ1日経ってしまうのかもしれないと思った。わかりました、ありがとうございました、とBさんに礼を言い、私は社長室にいるA社長のところへ向かった。

「そんな領収書の処理は…」

「A社長、Bさんに仕事は何をしているのかと聞いたら、経費精算です、と言われて、それだけ?と聞いたらそれだけです、と言われましたが、それでいいんですか?」

「ああ、いいんですよ。営業社員がそんな領収書をちまちま整理している暇があったら1分でも営業に行けってもんですよ。だからそんな領収書の処理は事務員にやらせとけばいいんです」

A社長にとってはBさんの訴えなどは「そんな領収書」という程度の関心レベルだった。普通のコンサルタントならそこで正論をぶつけるのだろうが私はそうしない。

なぜなら、会社員から独立して社長になるような人は、「他人の言うことを聞きたくない」から独立するのだ。だからそのような人に正論で説教しようものならたちまち距離をとられてしまう。

社長が人の言うことを聞く条件は二つだけ。「本当にわからないことがあって教えて欲しい、と質問をしてくるとき」、そしてもう一つは「大失敗したり騙されたりして心から反省したとき」。

その二つしか社長というのは他人の言うことを聞かないものなのだ。これは社長に限らず気の強い社員も同じだ。

私はA社長に「A社長からBさんに『頑張っているね』とか声掛けくらいはしてあげてくださいね。それだけでも社員は嬉しいものですよ。逆に何も言われないと、寂しい、虚しいものですよ」とだけお伝えして失礼した。

腹いせの「付け替え」

そんなことがあった翌年、何が発覚したかというと、Bさんが営業社員から渡されていた領収書を自分が立て替えたものとして「付け替えして」精算し、数百万円着服していたことがわかったそうだ。それでA社長は怒っていたのだった。

「でもA社長、Bさんは全営業社員じゃなくて、一部の営業社員の分を抜いていたんでしょう、きっと」

「そうだけど、何でわかるの」

「だってBさん、優しい営業社員もいるって言っていたから、そういう人から盗るのは人間って罪悪感があるんですよ。こいつなら盗ってもいいや、という、社長が言うところの『やんちゃな』社員のところから抜いていたんでしょう。自分だったらそうしますけど」

「その通り…」

「やんちゃな人って、自分がいくら精算したかチェックしてないから多少抜いたって全然バレないんですよ。だから経理なんて仕事は、抜こうと思えばいくらでも会社からお金を抜ける仕事なんですよ。だけどそれを皆、理性を抑えてやらないんです。どうしてだかわかりますか?」

「…」

「『経理だから』ですよ。それが経理の本質であり、資質であり、誇りなんです。だから『そんな領収書の処理は事務員にやらせとけばいい』と、誇りを踏みにじったら、そういうことになるんですよ」。

実際Bさんは、自分に不親切な営業社員のランキングをつけ、そういう社員ほどお金の管理に疎いからと、腹いせに経費精算を「付け替え」して着服していたそうだ。そして実際に全くバレなかったらしい。

ではなぜ発覚したかというと、そのうちBさんは不正をしている高揚感で、不親切な社員の分だけでは物足りなくなり、ついに日頃から親切にしてくれている営業社員の経費精算にも手をつけてしまったらしい。

しかしその営業社員は、毎回経理に渡す前に自分で提出した領収書の金額をスマートフォンで自己管理していたので、経費精算の振込額が違うことを不審に思い、たちまち発覚してしまったそうだ。

クラウドで「付け替え」の不正は防げる

A社長には、お金をケチらないで経費精算をアナログ管理でなくクラウド化しておけば、営業社員が申請するのもラクだし、今回のように他人の経費精算を自分に付け替えする不正は物理的にできなくなるので、導入したほうがいいですよとアドバイスをした。

ただ、導入するかしないかは、A社長の経営判断次第だ。心から反省していればクラウド化し、今後の不正は防げるだろうが、反省していなければ「やっぱり経理部門にお金を使うのはもったいない」と、アナログ管理が続き、しばらくしたらまた社員に裏切られて不正が起きることだろう。

※この物語はフィクションです

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