税理士事務所にとっての人件費は売上をあげるための源泉であり、主要なコストでもあります。人が売上の源泉である以上、適切な教育投資が求められます。この記事では税理士事務所における職員教育について、メリット・デメリット、教育に役立つツールや助成金制度についてご紹介していきます。
目次
税理士事務所での教育のメリット
税理士事務所の職員に対して適切な教育を実施することで、下図のようなメリットが期待できます。
事務所内部の人材が育つことでクライアントに対するサービスの質が向上し、職員のモチベーションアップにもつながります。職員教育の意義を正しく理解し、教育体制の整備に取り組みましょう。
提供サービスの質が上がる
適切な職員教育を行うことで各職員の専門性やスキルが底上げされ、業務品質が向上するだけでなく、職員一人ひとりが扱える業務範囲を拡大することも可能です。また、各職員がレベルアップすることで事務所全体の業務水準が引き上げられるため、顧問先に対するサービスの質が高まり、結果として顧客満足度の向上にも貢献できます。
税務や会計に関するトラブルが減る
知識不足や認識の誤りで、事務所の職員が顧問先に対して間違った助言や指導を行った場合、後々トラブルに発展するケースもあります。クライアントに対する職員の指導内容が不適切な場合には、代表税理士が使用者責任を問われる可能性もあるため、トラブルが発生しにくい事務所環境の整備が欠かせません。
職員に対して適切な教育を行い、知見を蓄えることで不要なトラブルを回避することはもちろん、事務所内のチェック体制を構築し、ミスを事前に検知できる仕組みづくりが重要です。
人材の定着率が上がる
税理士事務所では複雑かつ専門的な業務を取り扱う機会が多く、税理士試験勉強中の職員やパート職員についても例外ではありません。そのような職場環境において、適切な教育が行われないと職員が能力を発揮できないどころか、自らの業務のクオリティに不安を抱えながら働くこととなるため、ストレスや居心地の悪さから退職に至るケースも多いです。
実際に独立行政法人労働政策研究・研修機構による調査結果では、はじめての正社員勤務先を1年以内に離職した場合において、男性では25.8%、女性は31.5%が「仕事が上手くできず、自信を失った」ことを理由として挙げています。
参考:資料シリーズNo.221【第Ⅰ部 調査結果】『若年者の離職状況と離職後のキャリア形成Ⅱ(第2回若者の能力開発と職場への定着に関する調査 ヒアリング調査)』|独立行政法人労働政策研究・研修機構
事務所内で適切な教育や指導を行うことは、それぞれの職員の自信ややりがいの創造にもつながり、その結果として人材の定着率向上にも貢献します。
税理士事務所での職員教育の注意点
専門性の高い税理士業務においては、採用後に適切な教育を行うことは事務所の業務品質を維持・向上するためにも極めて重要です。その一方で効果的な教育を実施することは容易ではなく、下図のような課題に直面するケースも多いです。
職員教育における注意点を正しく理解し、事務所としての然るべき教育体制を構築しましょう。
OJTのみではリスクがある
税理士業界においては新たに採用した職員向けの教育制度を確立できていない事例が多く、じっくりと育成する時間的余裕もないため、ただちに先輩職員の巡回監査に同行するなど、OJT(On the Job Training)のみを行う事務所もあります。
実際の実務の現場で吸収できる知識や経験は非常に重要であるものの、教育する職員の能力や時間的リソースの有無への依存度が大きく、場合によっては必要な能力開発を行えないケースもあります。また、業務の属人化が進む税理士事務所でOJT中心の教育を行うことで、事務所内の属人化がより一層加速するリスクも高まります。
OJTのみの教育を実施するのではなく、より体系的かつ汎用的な知識を習得するためのOff-JTを組み合わせ、OJT以外の教育機会の拡充に取り組むことをおすすめします。
短期的には時間やコストがかかる
税理士業界では人材不足に悩む事務所も多いため、事務所内で教育を行う場合には指導者となる職員側のリソース確保が課題となります。それに対して外部研修など事務所外での教育制度を導入する場合には、当然ながら金銭的なコストを負担しなければなりません。
事務所の内部と外部のどちらで教育する場合でも、短期的に何らかのコストが発生することは免れられません。事務所としてそれらのコストを弾力的に負担する必要があります。
また、税理士業界においては繁忙期が偏る傾向にあるため、事務所内で教育を行う場合には、リソース確保のために業務量の少ない閑散期に合わせて採用活動を行うことも効果的です。繁忙期を迎える頃には事務所としての貴重な戦力となるよう、閑散期のうちに計画的かつ効率的な教育が行えるように取り組みましょう。
税務未経験者に必要な教育内容
税理士事務所では、税務会計に関する専門的なノウハウを求められる業務が大半です。税理士業界での勤務経験がない職員に対しては、下図のように基本的な知識から丁寧に指導する必要があります。
業界未経験の職員については伸びしろが大きい一方で、教育方法が不適切な場合には事務所の戦力として育てることは難しくなります。事務所と職員の双方にとって、マイナスの状況に陥ってしまうため注意が必要です。
税理士事務所として未経験者に対する教育体制を構築し、税理士業務に必要な基本的知識を習得できるよう、体系的な指導を実践しましょう。
社会人マナー
新卒や第二新卒など、社会人経験が乏しい職員を採用する場合には、税務会計の知識を有していても社会人としての基本的なマナーが備わっていない可能性も高いです。税理士業務においては電話対応や巡回監査を通じてクライアントとのやり取りが避けられないため、顧問先に失礼のないよう、社会人としてのマナーを習得させる必要があります。
また、税理士業界では「モノ」としての商品がなく、専門性の高いサービスを扱うため、事務所全体の接客品質を高めることで、クライアントに対して信頼性や安心感を訴求することが重要です。所長税理士だけでなく、事務所の職員一人ひとりの顧客対応が与える影響も大きいため、相手にとって気持ちの良い応対ができるよう、事務所でのマナー教育を徹底しましょう。
会計ソフトの使い方
会計ソフトは法人や個人事業主向けの税務顧問業務を行ううえで必須のツールであるものの、一般的に馴染みが薄く、税理士業界で勤務するまで触れたことがないケースも多いです。会計ソフトの操作は税理士業務全般の根幹です。税理士業界の未経験者でも会計ソフトの機能や使い方を習得できるよう、丁寧な指導とサポートを徹底することを心がけましょう。
また、会計ソフトに関しては数多くの製品が流通しているため、転職などで他の事務所へ移る場合には新たな会計ソフトの操作方法を習得しなければならないケースがあります。「税理士業界の経験者であれば会計ソフトの操作は問題ない」と決めつけるのではなく、職員ごとの会計ソフトの経験や理解度をしっかりと見極めたうえで、個々のレベルに合った指導を行うように努めましょう。
月次処理とチェックのやり方
税務顧問業務においては月次処理が基本となるため、月次処理に関する一連の業務フローを学習させる必要があります。会計ソフトを用いた仕訳入力の仕方だけでなく、作成した帳簿のチェック方法や決算に向けた情報収集のポイントなどを習得できるように適切な指導を行うことが重要です。また、月次処理やチェック方法を指導する場合には、業種や顧問先ごとの個別の注意点も併せて伝えることで、より専門的かつ実践的なノウハウを伝達できます。
ただし、税務会計に関する基本的な知識が整っていない状態で過剰な情報を与えてしまうと、かえって職員教育の効率が低下するおそれがあります。個々のスキルやノウハウに応じた指導を心がけましょう。
申告書の作成
法人税や消費税、所得税の申告書を作成するためには、仕訳入力よりも高度な税務スキルが求められます。税務申告書の作成ができるようになるためには、専門的な知識に加えて一定の実務経験が必要です。それらを兼ね備えた職員は、事務所からの信頼も厚くなります。
税務申告書の作成に必要な税法の知識を習得するためには、事務所による教育だけでなく、職員による自己学習も欠かせません。税理士試験に向けた学習以外にも、書籍やセミナー、専門学校などを通じて実践的な申告書作成ノウハウを習得できるため、事務所としてそれらの学習をバックアップすることも有用です。
税法や裁判例に関する座学
それぞれの職員のスキルアップや事務所全体のミスやトラブル防止の観点から、座学として最新の税法や過去の裁判例に関する所内研修を定期的に開催する事務所もあります。特に、毎年の税制改正による変更点についてはミスが起こりやすいだけでなく、顧問先に対するアナウンスも必要です。事務所として継続的な学習機会を設け、重点的にフォローアップを行うように徹底しましょう。
また、税法解釈については判断基準が明文化されていないケースも多く、個々の事例に当てはめたうえで適切な判断を下すことは容易ではありません。そのような場合には、過去の裁判例を通じて税法解釈のヒントが得られるケースもあります。論点になりやすい判例については、事務所内で積極的に共有することで税法の理解を深め、判断ミスを未然に防ぐための対策を講じましょう。
税理士事務所での教育の方法
税理士事務所が職員教育を行う場合には、「事務所内部で教育する方法」と「外部サービスを活用する方法」の2つに分けられます。
いずれか一方が優れているというものではなく、それぞれのメリットやデメリットを理解し、自らの事務所に合った教育方針を導入することが重要です。
自社での研修
月に一度、事務所内で研修会を開催するなど、自社で教育研修を実施している会計事務所もあります。職員が持ち回りで講師となる場合も多く、低コストで行える点や講師役の職員の説明力向上にもつながるというメリットが期待できます。
ただし、職員が講師役に不慣れな場合には研修自体の効果が低下してしまうため、講師役の選定は慎重に行う必要があります。また、研修会に向けて資料作成などの事前準備が必要となるため、講師役の職員の業務負担が増加してしまう点にも注意しなければなりません。
エルダー制度
「エルダー制度」とは同部署の直属の上司ではなく、より年齢や経験が近い先輩職員と二人一組になってマンツーマンでの指導を行う制度をいいます。教育係となる先輩職員は実務的な指導に加え、新入職員がいち早く職場環境に馴染み、早期退職に至ることがないよう必要なケアを行うことも求められます。
「業務の標準化」が不十分な税理士事務所では、複数の先輩職員が教育することで一貫性のない指導が行われ、かえって新入職員の混乱を招く場合も多いです。それに対して「エルダー制度」を活用することで、OJTに基づいたマンツーマンでの指導が実施でき、新入職員に対して効果的な教育を行いやすくなるというメリットが期待されます。
ただし、教育係となる先輩職員の指導力への依存度が高く、「エルダー」として適切な人材を選定できないと教育効果が低下するおそれがあるためご注意ください。
外部サービスの利用
職員の教育研修を事務所内部で行うのではなく、外部の研修・教育サービスを利用する方法もあります。外部サービスを活用することにより、教育や研修に関する豊富なノウハウがあり、体系的なカリキュラムによって効率的な学習が可能となるなど、「コンテンツに一定の質が担保されている」というメリットがあります。
一方で、デメリットとしては金銭的なコストが発生することや、一般的な内容が中心であることから具体的な仕事の進め方などの習得には不向きである点が挙げられます。
税理士業務は一般事業会社とは業務内容の性質が異なるため、税理士事務所向けのコンテンツが少ない点にも注意が必要です。
税理士業界向けに提供されている外部サービスの例としては、以下のものがあります。
また、日本税理士会連合会や所属する税理士会で、定期的に開催される研修会やセミナーへ参加することも有用です。事務所内部の教育と外部サービスを併用することで、両方の長所を活かしながら職員教育を推進することも検討しましょう。
人材教育に活用できる助成金
企業の人材育成に関しては、公的な助成金制度を活用できる場合があります。助成金には国が運営する制度だけでなく、地方公共団体が独自の支援制度を設けているケースもあるため、事務所が所在する自治体のホームページなどで利用できる制度がないか確認しましょう。
人材開発支援助成金
「人材開発支援助成金」は厚生労働省が手がける助成金制度であり、以前は「キャリア形成促進助成金」という名称で運用されていました。「人材開発支援助成金」では業務に必要な知識やスキルを習得するために行う職業訓練について、その経費の助成を受けることが可能であり、以下8つのコースが用意されています。
- 特定訓練コース
- 一般訓練コース
- 教育訓練休暇等付与コース
- 特別育成訓練コース
- 建設労働者認定訓練コース
- 建設労働者技能実習コース
- 障害者職業能力開発コース
- 人への投資促進コース
参考:人材開発支援助成金(特定訓練コース、一般訓練コース、教育訓練休暇等付与コース、特別育成訓練コース、人への投資促進コース)|厚生労働省
コースによって助成対象となる取り組み内容や助成額が異なるため、自らの事務所の採用方針や教育内容に合ったコースを選択しましょう。たとえば「特別育成訓練コース」では、有期契約労働者などに対して実施するOJTやOff-JTが助成対象となり、OJTについては定額で10万円、Off-JTについては一定の経費助成に加え、賃金助成を受けることも可能です。
令和4年4月からはオンラインによるOJTの実施や、eラーニングあるいは通信制による訓練も助成対象に加えられ、コロナ禍における時代の流れに沿った制度内容に変更されました。
参考:人材開発支援助成金(特別育成訓練コース)のご案内(詳細版)|厚生労働省
また訓練実施後に正社員へ転換することで「キャリアアップ助成金」を併用できるケースもあるため、制度の要件を正しく理解し、職員教育に有効活用してください。
社内型スキルアップ助成金・民間派遣型スキルアップ助成金
国だけでなく、地方公共団体が企業の人材育成を支援する制度を設けているケースもあります。たとえば東京都の場合、「社内型スキルアップ助成金・民間派遣型スキルアップ助成金」という独自の助成金制度を設けており、中小企業が行う短時間の職業訓練に対して助成を行っています。
助成対象は専門的な知識や技能の習得を目的とし、自社あるいは外部サービスによって実施されるOff-JTに関する訓練費用であり、以下の区分に応じて助成金が支給されます。
- 社内型スキルアップ助成金
- 助成対象受講者数×訓練時間数×730円(団体の場合、訓練に要した経費-収入の額を上限)
- 民間派遣型スキルアップ助成金
- 助成対象受講者1人1コースあたり受講料等(税抜き)の2分の1(20,000円を上限)
引用:社内型・民間派遣型スキルアップ助成金(中小企業人材スキルアップ支援事業) | TOKYOはたらくネット
事務所が所在する自治体によって独自の支援制度が設けられている場合もあるため、職員教育を行う場合には利用可能な制度の有無を必ずチェックしましょう。
適切に教育投資を行い事務所のレベルアップを
税理士業務においては「モノ」としての商品がなく、税理士や職員が提供する専門的なサービスに付加価値があるため、教育投資による職員の育成が欠かせません。
また、税理士事務所が保有する時間やお金などのリソースは有限です。教育投資の効果を最大化するためには、雇用した職員が長く働けるような職場環境の整備も必要です。
職員教育を実施する場合には、国や自治体の助成金制度を活用できるケースもあります。コストをコントロールしながら、教育による成果の最大化を追求しましょう。
よくある質問
適切な職員教育を行うメリットは?
税理士事務所として専門性の高い業務を扱うため、職員教育によって業務品質が高まることでトラブルの防止や顧客満足度の向上が期待できます。また職員のモチベーションが上がることで定着率アップにも貢献します。
職員教育を行う場合の注意点は?
税理士業界の場合には教育制度が確立されていない事例も多く、OJTのみの指導が行われることで体系的な知識が習得できない場合もあります。また時間的あるいは金銭的なコスト負担が発生する点にもご注意ください。
業界未経験者への教育方法は?
新卒者を採用する場合は、社会人マナーから丁寧に教育することが重要です。また業界未経験者の場合には会計ソフトの使い方や月次処理から申告書作成までの流れ、過去の裁判例の調べ方などを段階的に指導しましょう。